ロバート・ミッチャム
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ロバート・チャールズ・ダーマン・ミッチャム(Robert Charles Durman Mitchum、1917年8月6日 - 1997年7月1日)は、アメリカ合衆国コネチカット州出身の男優。実弟ジョンも俳優。また長男クリストファー、次男ジェームズはじめ、孫のキャリー、ベントレーも同じく俳優となっている。
眠たそうな瞳を擁した顔立ちに加え、がっしりとした体格を武器に戦後のスクリーンを賑わせたタフガイ俳優としてお馴染みで、スリーピング・アイという異名をとった。14歳のとき家を出て生計を立て、肉体労働で各地を回った。その末にカリフォルニアの劇団に遭遇し、俳優としてのキャリアをスタートさせる。1942年には映画に出演しはじめ、44年には本格的な主演級の俳優として注目される。翌年『G・I・ジョー』ではアカデミー助演男優賞にノミネート。しかし、1948年、麻薬がらみのスキャンダルで逮捕、勾留され2年間獄中生活を味わうが、結果冤罪であることが判明し当時話題となった。1950年代前半はこうした逆境をさらに跳ね除けるようにスターダムにトップスターに登りつめ、マリリン・モンローと共演した『帰らざる河』、ジャック・パランスと東西のタフガイ男優共演で話題を呼んだ『第2の機会』などの大ヒットで地位を確立した。
50年代後半から1960年代にかけては一転して犯罪者役や悪役にも挑戦、芸域を広めた。なかでも『狩人の夜』や『恐怖の岬』での怪演は、観客を恐怖へ陥れるものだった。後者は後にロバート・デ・ニーロ主演によって『ケープ・フィアー』としてリメイクされたが、あまりにも演技過剰なデ・ニーロよりもねっとりと追い詰めるタイプのミッチャムの演技のほうが背筋を寒くさせるものだった、と評価されている。リメイク版においてもミッチャムは脇役として出演していた。他、『史上最大の作戦』、『エル・ドラド』など映画史に残る傑作に出演。
1970年代は大作『ライアンの娘』で難役を演じ、演技派として転向。再び注目される。その後はTVドラマのおいてもハードボイルド系の作品で探偵役、マフィアものの作品での不気味なドンなど、性格俳優としても開眼。老いてますますキャリアを広げていった。
晩年は肺がんを患うも、病状をおして映画に出演を続け、孫娘キャリーとの共演を実現した後、1997年に死去した。
[編集] 主な出演作
- 大空に生きる Aerial Gunner (1943)
- G・I・ジョー The Story of G. I. Joe (1945)
- 第二の機会 Second Chance (1953)
- 帰らざる河 River of No Return (1954)
- 狩人の夜 The Night of the Hunter (1955)
- 眼下の敵 The Enemy Below (1957)
- 追撃機 The Hunters (1958)
- 芝生は緑 The Grass Is Greener (1960)
- 史上最大の作戦 The Longest Day (1962)
- 恐怖の岬 Cape Fair (1962)
- エル・ドラド El Dorado (1966)
- 戦うパンチョ・ビラ Villa Rides! (1968)
- ライアンの娘 Ryan's Daughter (1970)
- ザ・ヤクザ The Yakuza (1974)
- さらば愛しき女よ Farewell, My Lovely (1975)
- 大いなる眠り(1978)
- マリアの恋人 Maria's Love (1984)
- ロバート・ミッチャム/男たちの勲章(1986)
- ミスター・ノース/風を運んだ男 Mr. North (1988)
- 3人のゴースト Scrooged (1988)
- 私立探偵ジェイク(1989)
- CIA/薔薇の復讐(1989)
- ミッドナイト・ライド(1990)
- ケープ・フィアー Cape Fear(1991)
- デッド・ボディ(1993)
- バック・ファイアー!(1994)
- デッドマン Dead Man(1995)
- サンセット・ボーイズ(1995)
- 傷心/ジェームズ・ディーン愛の伝説 James Dean: Race with Destiny (1997)
[編集] 外部リンク
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