三宅藤九郎
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三宅家の成り立ちについては、狂言の項を参照。
山脇家・野村又三郎家とともに「和泉流」を創流した(宗家は山脇家)。拠点は金沢。
現在第一線で活躍している野村萬斎、野村万蔵、和泉元彌らはすべて三宅家の弟子家である野村家の出身である。
大政奉還の煽りで各派が衰退していくなか、ひとり気を吐いていた五世野村万造が次男に師家の名跡を継がせて再興した。
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[編集] 九世三宅藤九郎(七世三宅庄市)
1900年~1990年。 和泉流狂言師。人間国宝。東京都出身。五世野村万造の次男。六世野村万蔵の弟。幼名・野村万介。息子に和泉元秀(和泉流十九世宗家。旧名三宅保之)と三宅右近。 狂言の研究家としても名を成し、『ぼうふり』を始めとする新作狂言を多数作り、また上演されなくなった狂言の復曲も行った。その業績を評価され、人間国宝の指定を受ける。1989年に隠居して七世三宅庄市を襲名。
[編集] 受賞歴
- 国指定重要無形文化財保持者(人間国宝)
[編集] 出版物
- 「狂言師・三宅藤九郎」(映画)
[編集] 十世三宅藤九郎(和泉(三宅)祥子)
能楽和泉流狂言方。東京都出身。十九世和泉流宗家和泉元秀の次女。青山学院初等科〜大学卒。
姉は和泉淳子、弟は和泉元彌。母は和泉節子、と名乗っているが山脇が本姓。
テレビ出演する際は姉・淳子とセットであることが多く、「姉ズ」などと言われている。狂言ファンからは「姉ズの元秀師に顔が似ていない方」とも。
九世死去後、誰もが九世次男・三宅右近が継ぐ物と思っていた名跡を15歳で襲名。物議を醸した。(和泉家側は「九世が指名した」と主張)
もともと姉弟三人による公演が多かったが、元彌が除名されてからというもの正規の公演は難しくなってしまった。
最近では元彌とタッグを組んで「ハッスル」に参戦するのではと噂されている。
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