ハッスル (プロレス)
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ハッスルとは、PRIDEを主催するドリームステージエンターテインメント(DSE)とZERO-ONEが手を組んで始められた新しいスタイルのプロレス大会。初期の頃は、全日本プロレスも協力して、三冠ヘビー級選手権試合が行なわれた。現在はZERO-ONEの崩壊により、事実上の後継団体であるZERO1-MAXを運営するファースト・オン・ステージ(FOS)とDSEにより運営されている。
従来”キャプテン・ハッスル”として小川直也が率いるハッスル軍と、高田総統が率いる高田モンスター軍との抗争を中心とするストーリーが展開されていた。ユニークな容姿や性格のレスラーが多数登場、芸能人がレスラーとして登場するなどエンターテイメント性の強い興行を行っている。
第1回は2004年1月4日、さいたまスーパーアリーナで行われ、メインのビル・ゴールドバーグvs小川直也が話題を呼んだ。
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[編集] 概略
[編集] ストーリー
2003年12月4日、ハッスル1開催発表会見の席上で、PRIDE男祭りの4日後(2004年1月4日)の開催ということで大丈夫か?という記者の質問に、PRIDEの榊原信行代表が「プロレスということなんで、大丈夫です!」という発言をして小川が机を投げ飛ばして反抗したのが、きっかけである。その後、橋本真也と共に高田延彦に宣戦布告、PRIDE戦士を集めたハッスル高田軍と対小川直也・橋本真也+ZERO-ONE連合軍の構図で立ち上がった。しかし第2回(2004年3月 横浜アリーナ)以降は日本プロレス界を壊滅すべく強力な刺客たち=「高田モンスター軍」を次々と送り込む高田総統が登場。それに対し、キャプテン・ハッスル(小川直也)、ハッスル・キング(橋本真也)、ハッスルK(川田利明、その後モンスター軍へ加入し、モンスターKと命名)を中心とする「ハッスル軍」が登場。彼らが苦しみながらもこれに立ち向かっていく、というストーリーが軸となっている。
ファイティング・オペラと称するギミック満載の派手な演出、有料放送の視聴者を意識したカメラワーク、マイクパフォーマンスの重要性、興行までの仕掛けなどは、WWEを参考にしながら練られていることがうかがえる。2004年にアサヒ芸能で「ハッスル2」の流出した進行台本(勝者やマイクパフォーマンスの言葉が記載)が掲載されるという事件が起こったが、続く「ハッスル3」の煽りで中村専務(当時)が白紙の台本を持ってスキットに参加し、スキャンダルのアングル化を行った。
[編集] 主な出場選手
- 詳細はハッスルに登場する人物一覧を参照
2005年11月3日横浜アリーナで行われた「ハッスル・マニア2005」は狂言師の和泉元彌、タレントのレイザーラモンHGの参戦が話題を呼び、連日ワイドショー等で報道され一気にブレイク。満員の観衆を集めた。また、2006年6月18日にさいたまスーパーアリーナで行われた「ハッスル・エイド2006」では、芸能界で最強の主婦と言われているカイヤが参戦したが、翌日のワイドショー等には報道されなかった。あと、2006年11月23日に行われた「ハッスル・マニア2006」には、眞鍋かをりの後輩である海川ひとみが参戦した。さらに、2006年12月26日に行われた「ハッスル・ハウス クリスマス・スペシャル Part2 江頭伝説最終章?今日はバイト入ってませんSP」のメインでは、去年からハッスルあちちこと大谷晋二郎に似ていると言う事から、江頭2:50が参戦した。
現在の主な参加メンバーは小川、川田、高田の他、大谷晋二郎、安生洋二、島田裕二、HG、TAJIRI、田中将斗、金村キンタロー、黒田哲広、天龍源一郎、安田忠夫、坂田亘、崔領二、佐藤耕平、長尾浩志ら。橋本は「ハッスル4」(2004年7月 横浜アリーナ)を最後に肩の手術のため長期欠場に入ったが、2005年7月に急逝している。
「ハッスル・ハウス クリスマススペシャル」(2004年12月 後楽園ホール)にはアリシンZこと浜田文子とHikaruが女子選手として初めて出場。以後、Ericaことアジャ・コングをはじめ、女子選手の参加も徐々に増えている。
また地方開催に合わせ高田総統が発掘した「ご当地モンスター」も登場するのが見もの。過去は北海道「マリモブラザーズ(マリオブラザーズ)」、青森「りんごブラザーズ、恐・イタコ(京唄子のもじり)」、仙台「仙台市・ロー(仙台四郎)」、新潟「イナゴライダー(稲作の大敵イナゴ、及び175Rのもじり」、静岡「ザ・モンスターT(茶=Teaの「T」から)」、名古屋「ひつま武士&モンスターコメ兵(名古屋料理と当地中古品販売店)、アリマキネン・ミヤキネン・ヤスダキネン(有馬記念)(高松宮記念)(安田記念)」、大阪「KIDATA・ロー(浪速のモーツァルトことキダタローから)」、横浜「鬼妖拳(横浜のシューマイ崎陽軒)」、福岡「ミン・タイ・スー(明太子の中国語読み)」といったモンスターがハッスル軍と激闘を繰り広げた。
[編集] ゲスト
また対戦とは別でサプライズゲストが登場する時がある。これまでも猫ひろし、まちゃまちゃ、そして秀逸なのはモンスターKこと川田利明よりハッスルあちちこと大谷晋二郎が「最近頭髪のあたりが似ている」という指摘を受けたのを機に、2005年ハッスルハウス・クリスマススペシャルに突如観客席から江頭2:50が登場しリング上で、江頭とあちちの当人同士の対面が実現した。最後の決めポーズは「がっぺむかつく!」だった。[1]
[編集] ハッスルの課題
観客動員数は他団体に比べて多いが、HGこと住谷正樹・和泉元彌に代表される芸能人によるハッスル参戦という話題が先行しすぎている感が強い。また、興行においては芸能人参戦者が中心にいてプロレスラーが脇役を担っている点、芸能人(特にHGとインリン様(ニューリン様)、最近ではRG)が現役のプロレスラー顔負けのムーブなどで観客を沸かせている姿などがプロレスラーの価値を下げていると指摘されることがある。
上記のことから北斗晶はハッスルに対して嫌悪感を顕わにしている。また、ハッスル・マニア2005の成功後、プロレスライターでありストロングスタイルの狂信者でもある安田拡了は「日本のプロレスが壊れた」と批判している。[要出典]しかし高田総統は事あるごとに「日本のプロレス界を根こそぎぶち壊す」と宣言しており、ある意味で当然の事であるという指摘もある。[2]
プロレスファンの反応は、賛否両論であり、批判の多くはハッスルの持つ旧来のプロレス感への批評が旧来のプロレスファンの思い入れを否定する側面があり、そのことからハッスルに対してヒステリックな批判も多い。エンターテインメント性の強さから、ハッスルがプロレスのカテゴリーに入るかについては一部で異論もある。また絶賛するファンの中にも旧来からのプロレスファンが多く、過去にプロレスに夢中になった自分を否定するのではなく「笑い」飛ばす屈折した見方をする者もいる。ハッスル自体も旧来のプロレス団体(特に某老舗プロレス団体)を笑いのネタにして批判するテキストを好む為、公然と対立状態になっているのが現状である。ただし、全日本プロレスやZERO-ONEなどはハッスルに協力している為、表立ってネタにされるような事は少ない。[要出典]
また、同じDSEの主催するPRIDEのフジテレビの放送中止が決定し、莫大な放送権料を失ったため母体であるDSE自体が危機になっており、当初「DSEの税金対策」と揶揄されたハッスルが今後、このままの形態で興行を続行できるのかも危惧されている。2007年に入り、DSEからの分離独立が報道される。[3]
2月1日に高田モンスター軍が総額100億M(モンスター)ドルで買収というギミックで正式に独立が発表された。
[編集] 放送形態
衛星放送ではSKY PerfecTV!ペイ・パー・ビューにて興行の生中継および再放送を行っている。 また、ハッスル公式の有料会員サイト「ハッスル・マニア」で記者会見の模様や試合のダイジェスト等、膨大な数の動画を視聴することが可能(ただし後述のフジテレビ録画放送打ち切りに伴い、2006年6月及び7月の動画の一部に関しては、権利上配信されない可能性が高い)。しかし9月になり今までの未放送分(3月の収録分からとかなり遡るが)を一挙放送する。
その他、USENが提供するインターネット放送GyaOでハッスル・マニア2005が配信され、以後ハッスルナンバーシリーズを全試合配信している。
地上波放送では中京広域圏(愛知県、岐阜県、三重県)をエリアとする東海テレビ放送にて2005年10月より「ハッスル×ハッスル」(通称ハスハス)を毎週金曜日の深夜に放送していた。また、それ以前から特別番組が不定期で放送されていた。この特番については地方興行の直前にテコ入れとしてローカル放送される例がみられた。念願の地上波全国放送として、フジテレビ系でハッスル・エイド2006を大会翌日の6月19日に録画放送することが決定していたが、6月5日にフジテレビ側からDSE関連のイベントの放送を打ち切る発表が行われハッスル・エイド2006の放送が中止となったため、地上波全国放送は実現しなかった。系列局である東海テレビもこれに同調し、ハッスル関連全ての放送打ち切りを決定したため、「ハッスル×ハッスル」も打ち切りとなった。これに伴い、SKY PerfecTV!のFIGHTING TV サムライにて放送されていたハスハスも打ち切りとなった。しかし9月より「ハッスルFC」を放送。
特番における初期の番組ナビゲーターは小倉優子、山田千鶴が担当し、後にインリン・オブ・ジョイトイが高田モンスター軍「セクシー方面司令官」として進行役を務めた。後にインリンは「インリン様」として実際の試合に絡むようになる(HGに敗れて一時離脱の後、卵から生まれた「娘」という設定のニューリン様として参戦。2007年は再びインリン様として参戦の見込み)。小倉の後は実況ゲストにハッスル・マドンナこと青木裕子が定着したが、鈴木浩子第3代GMの強権により降板(以後は坂田軍団入り)。「ハッスル・エイド2006」から真鍋かをりが実況席のゲストとなった(その後浜田翔子と海川ひとみも実況ゲストとして出演した)。
実況はフリーアナウンサーの矢野武(SKY PerfecTV!のFIGHTING TV サムライのパンクラス中継を担当し、かつてはズームイン!!SUPER(日本テレビ)のレポーターだった)、解説は東京スポーツの平塚雅人。解説席には、当初掟ポルシェがついたが、笑えないギャグや知識の薄さが顰蹙を買い、その後ドン荒川らに変更。しばらくタイガー木原(木原二軍監督)に定着したが、やはり”しょっぱい”喋りが不評で姿を消した。
リング・アナウンサーは声優の太田真一郎とラジオ・パーソナティーのケイ・グラントが務める。太田はPRIDEのリングアナでもあり、グラントも1995年のGAEA JAPAN旗揚げ戦以来リングアナを務める事が多い。また太田はインリン様の試合に於いてPRIDEの四点ポジションにおける打撃の場合と同じ口調でムチの使用を認めるアナウンスを行い観客の笑いを誘った。会場で流れる選手紹介などの映像ナレーションは諏訪部順一が担当。
ちなみに大阪で興行が行われる際は近畿圏のフジテレビ系列局である関西テレビ放送は何故か一切協力をしようとせず、CMの放映すら行わず、興業のクレジットにも名を連ねていない(ただしハッスル・マニア2005のみ放送)。大阪で開催されたハッスル16においてはライバル局である毎日放送のちちんぷいぷいに高田総統が告知のため録画出演し、しかも高田延彦から高田総統にスイッチが入る前まで放送するというプロレスとしては致命的になりかねないサービスまでしていた(バットラック!をグットラック!と言い間違えるNG付き)。そのお返しの意味もあってか元毎日放送アナウンサーの角淳一がよしもと軍団による第3ハッスルのリングアナを担当した。
東海テレビおよびフジテレビが放送撤退後、2006年10月6日に行われるハッスル19のPR番組として2006年10月1日に兵庫県神戸の独立UHF放送局サンテレビジョンにて初めての地上波番組"ハッスル上陸大作戦"が放送された。しかし今後再び地上波で復活する目処は全く立っていない。
[編集] 興行形態
1万人規模の会場で行う「ハッスル」(「ナンバーシリーズ」とも呼ばれ、主に奇数月開催)と、2千人規模の会場で行う「ハッスル・ハウス」(第1回は2004年6月28日、後楽園ホール)とに分かれる。これらの関係は、まず事前の記者会見等で抗争や因縁が勃発、それをハッスル・ハウスで発展させ、ナンバーシリーズで決着させるというファイティング・オペラの名に違わぬ三幕構成になっている。
また、その年の集大成的な興行として「ハッスル・マニア」を開催。(2005年は11月3日・横浜アリーナにて開催)。更にクリスマスには「ハッスル・ハウス クリスマスSP」と銘打った、サブタイトル付きでよりストーリー性を明確にした興行が催される。
2006年6月17日にはハッスル・マニア級のイベントとして「ハッスル・エイド2006」(さいたまスーパーアリーナ)が開催され、「ハッスルで地球を救え!」を合い言葉に骨髄移植推進財団らとの協力で骨髄移植のドナー登録を呼びかけた。
スタート当初は首都圏で集中的に開催されていたが、2005年からは首都圏外での興行を増やし、全国展開を進めている。首都圏内のナンバーシリーズをDSEが、ハッスル・ハウス及び首都圏外のナンバーシリーズをファースト・オン・ステージ(FOS、ZERO1-MAXの運営会社)がそれぞれ運営する形となっている。
興行のクレジットは、2006年6月5日まで、「主催」がDSE、「協力」が東海テレビ放送などFNS加盟各局(名古屋大会のみ主催)とFOSとなっている。
[編集] ハッスルポーズ
ハッスル軍の選手が、主に試合後に、気勢を上げるために行うポーズ。橋本と小川が考案した。
腰の辺りで両腕を構え(拳は握る)、「スリー、ツー、ワン」のカウントダウンの後、「ハッスル!ハッスル!」のウォー・クライと共に二度、両腕を力一杯引くと同時に腰を突き出す。当初は微妙な評価であったが、継続しているうちに同イベントの象徴として定着。TAJIRIはハッスルに正式参戦した後のサイン会で彼は「6月のECWワン・ナイト・スタンドでハッスルポーズをアメリカに広めたい」と語り、実際にハッスルポーズを黒田哲広と共に披露した。
橋本真也が途中でそのハッスルポーズはただ下品に終わってしまうとの観点から、従来のハッスルポーズに続けて頭上で手首を交差し「トルネード」と唱えながら腰を三回転半させた後に右足を出して「ハッスル!」と両腕を再度力一杯引く「トルネードハッスル」を考案したが、その普及を待たずして橋本が没したため彼の追悼興行を最後に封印されている(ハッスル・ハウス vol.17で橋本真也没一年追悼公演「ハッスル・キング メモリアル6人タッグトーナメント」優勝の「チーム ハッスル・キング(大谷晋二郎、田中将斗、安田忠夫)」と橋本真也前夫人ら家族とともに「メモリアルトルネードハッスル」として記念に行われている)。現在はHG考案の「ハッスル!ハッスル!フォー!」と足を4の字に組むなどHGの得意ネタである「フォー!」のポーズで締める事が多くなっている。ハッスル・ハウス vol.17では、モンスター軍からハッスル軍入りしたニューリン様が台の上に乗り、「ハッスル!ハッスル!トルネ~ド~MAX!」という掛け声と共に、橋本真也の考えたポーズにM字開脚を組み合わせたハッスルポーズを行った。
プロ野球読売ジャイアンツの選手・阿部慎之助が、2004年4月29日の試合で月間本塁打の日本タイ記録をマークした直後、先輩の清原和博、タフィ・ローズらと披露したことを端緒に、スポーツ界・芸能界にも広まって流行した。同年7月には日本高等学校野球連盟が『夕刊フジ』の取材に対し「ハッスルポーズなど、試合中の選手による派手なパフォーマンスには注意を与える」と述べ、同年の参議院議員通常選挙の遊説では当時の自由民主党幹事長だった安倍晋三が、応援に駆けつけた小川の勧めでポーズを決め、同年11月には競馬のGIのジャパンカップに小川がゲストに招かれ、10万人以上の競馬ファンの前でハッスルポーズを行うなど、社会現象ともなった(しかし、これは小川が当時開催されたPRIDEヘビー級グランプリに参加し、そのリング上で披露した影響が強かったと思われる。そのため当事者らがプロレスイベントでのポーズであるとの認識は希薄である)。
ちなみにハッスル軍が行うハッスルポーズに対抗し、高田モンスター軍にもモンスター軍流のハッスルポーズ、ドゥ・ザ・ハッスルポーズがある。胸の前で右腕で力こぶを作りながら「ドゥー・ザ・ハッスル!」と叫ぶだけの単純なポーズである。島田二等兵とアン・ジョー司令長官が普及を図っていたがいつしかフェードアウトしていった。現在、モンスター軍が締めるときは高田総統の音頭で「スリー、ツー、ワン、ビターン!」で締めている。退場する際は、「バッドラックだ!」と言う(高田総統がその決め言葉を言う前に川田利明がその言葉を先走って言ってしまう事があり、高田もその瞬間に「おーい、その言葉は俺のだろ」と慌てふためく瞬間が多い。その切り返しを受けた川田が意に介さない表情をするのも爆笑を誘う)。
2006年にギミック上第3代GMに就任した鈴木浩子が、小川直也が細木数子の冠番組に出演した際に教わったという新たなるポーズ「パワーアップでオー!」をハッスルポーズに代わる新たなポーズにしようと試みたが、初めて会場で披露した時には観客の大多数が拒絶反応を示した。
[編集] タイトルホルダー
団体所属あるいはフリーランスの選手有志が中立の主催者の下で試合を行うイベントという性質から、当初は自前の認定王座を設けていなかったが、「ハッスル8」(2004年3月 両国国技館)より「ハッスル・ハードコア・ヒーロー」(HHH)が制定され、田中将斗が初代王者に就いている。そのハードコア戦は凶器攻撃であらゆる持ち物が持ち込み可能なため、田中将斗は白い粉が入った白いギター、黒田哲広は自転車を持ち込み、金村キンタローはパイプ椅子か竹刀を持参したりして暴れている(田中のギターは一回殴打し白い粉が出てしまえばギターが破壊され終わりであるが、その一回限りの利用を相手に使われてしまう事も度々ある)。
ハッスルが管理するタイトル(2006年12月3日現在)
- HHH(ハッスルハードコアヒーロー)
- ハッスル・スーパータッグ
[編集] 関連項目
[編集] 脚注
- ^ livedoor Sports 江頭2:50、ハッスル参戦で「テポドン打ち込む」 2006年07月20日
- ^ スポーツナビ ケッパレ1試合速報結果
- ^ Zakzak 地上波復活目論む…ハッスル、PRIDEから分離独立 2007/01/26
[編集] 外部リンク
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