三浦顕次
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三浦 顕次(みうら たかつぐ、弘化4年1月3日(1847年2月17日) - 明治28年(1895年)9月11日)は、美作勝山藩の第10代(最後)の藩主。父は第9代藩主・三浦弘次。母は戸村氏。正室は土井利則の三女・鈴子。官位は従五位下、玄蕃頭。
弘化4年(1847年)正月3日生まれ。父が病弱だったため、実際の藩政を早くから仕切っていた。父は佐幕派だったが、顕次は新政府派で、慶応3年(1867年)からは朝廷に与している。慶応4年(1868年)5月6日、父の隠居により後を継いだ。明治2年(1869年)の版籍奉還で藩知事となり、明治4年(1871年)の廃藩置県で免官された。明治28年(1895年)9月11日、49歳で死去。墓所:岡山県真庭市勝山の安養寺。
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