三渡洲アデミール
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三渡洲アデミール(さんとす アデミール、Ademir Santos、1968年3月28日 - )は、ブラジル出身のサッカー選手。1995年に、日本へ帰化した。
[編集] 経歴・人物
ブラジルから東海大一高に留学生として来日。1987年、二年生(留学生のため、年齢的には他の二年生より一歳上)の時には全国高校選手権で同校を優勝に導き、MVPに輝いた。同学年のチームメイトには澤登正朗、吉田康弘らがいる。
高校卒業後はヤマハ発動機サッカー部に入団、JSL初優勝にも貢献する。
その後、清水エスパルスに入団するが、Jリーグバブルの真っ最中ということもあり、有名外国人選手の影で外国人枠の壁に阻まれ、なかなか公式戦出場はかなわなかった。そのため、日本人女性と結婚したこともあり、日本への帰化を決意する。
のちに同様の境遇であった呂比須ワグナー選手が帰化後に日本代表に選ばれたため、一部の心無い人間から「日本代表になるために帰化したのになれなかった」という侮辱を受けたが、事実は異なるのである。帰化するかどうか悩んでいた三都主アレサンドロ選手から相談を受けた際も、「代表選手になりたいだけならやめておいた方がいい」とアドバイスしている。
しかし、一時ブラジルに帰国したことが居住条件の継続性を満たさないとして申請が却下されるなど(呂比須ワグナーも同様の理由で一度却下されている)、帰化はなかなか認めらなかった。
1995年、念願かなってようやく日本への帰化が認められると、名前をアデミール・サントスから三渡洲アデミールに改め、リーグ戦にも出場してゴールを決めた。その試合後には、号泣しながらその喜びを語っていた。
だが、その後は度重なる怪我のため満足なプレイが出来ず、医者から「このままでは選手を続けることはできない。引退するか、手術を受けて長期間のリハビリを受けるかを選択するように」との宣告を受けた。サントスは「今まで働いて自分を支えてくれた奥さんにこれ以上迷惑をかけられない。今なら店を出す資金を出してくれる人もいるから」ということで引退を決意、1996年シーズンを最後に現役を退いた。引退後は静岡市内のレストラン「バナナシュート」のオーナーを務めていたが、2005年に閉店。現在は少年サッカー指導者として活動している。
息子の三渡洲舞人は現在清水ジュニアユースでFWとしてプレーしている。
[編集] 所属クラブ
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