上田憲定
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上田 憲定(うえだ のりさだ、天文15年(1546年)-慶長2年9月6日(1597年10月16日))は戦国時代、安土桃山時代の人物。後北条氏家臣。上田氏当主。武蔵松山城城主。上田朝直の子。
1583年、兄の上田長則が没し、跡を継いだ。城下町を整備するなど領国経営に力を注いだ。1590年の小田原の役では居城の松山城は家臣に任せて自身は小田原城に籠城したが、豊臣秀吉の大軍の前に松山城は落城し、さらに小田原城も開城、北条氏は滅亡した。その後の憲定の消息は不明であるが、同氏の系図には1597年に没したと記されている。
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