世説新語
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世説新語(せせつしんご)とは、中国南北朝の宋の劉義慶が編纂した、後漢末から東晋までの著名人の逸話を集めた小説集。今日『四部叢刊』に収めるものは上中下三巻に分かつが、テクストによってその巻数は二、三、八、十、十一等の異同がある。『隋書』経籍志によれば、もともと単に『世説』と称したようであるが、『宋史』芸文志に至ってはじめて『世説新語』の称が現れた。『世説新書』とも呼ばれる。
[編集] 概要
宋の臨川王であった劉義慶は文芸を好み、多くの文学の士を集めては『集林』『幽明録』などの書物を編纂した。『世説新語』もその一つで、後漢末から東晋までの著名人の逸話を集め、その内容から三十六篇に分けて編纂したものである。それぞれの項目が「孔門四科」の徳行・言語・政事・文学を初めとしてジャンルごとに分類されている。 基本的に小説集であり、史実とは言い難い話も少なくない。一方、この時代に生きた様々な人物の言動や思想を知り、同時代の世相を掴む上で貴重な書物といえ、取り上げられた人物が後代いかなるイメージを持たれていたかを推測することもできる。
成立の背景としては、後漢末期から行われるようになった人物評論が魏晋期の貴族社交界でも承継され、過去の人物に関する伝説を一書にまとめようとする機運が高まったことが挙げられよう。とりわけ中心的な話柄となったのは「清談」である。いわゆる「竹林の七賢」に代表される老荘思想に基づいた哲学的談論が、当時の貴族サロンでもてはやされたことを裏付ける資料ともなっている。
『世説新語』が編纂されて一世紀も経たないうちに、梁の劉孝標(劉峻)が注を付けている。劉孝標の注は記述を補足し不明な字義を解説するだけではなく、本文中の誤りを訂正したり、現代では散逸した書物を多く引用したりしており、裴松之の『三国志』注、酈道元の『水経注』などと並び、六朝期の名注として高く評価されている。
[編集] 日本への影響
『世説新語』はたいへんよく読まれ、その亜流も数多く出現したが、明代の中国において編纂された『世説新語補』が徳川期の日本へ将来され、和刻本も出版された。秦鼎の『世説箋本』等、その研究も盛んに行われた。