丙寅教獄
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丙寅教獄(へいいんきょうごく)とは、1866年に朝鮮で起こったキリスト教弾圧事件。
天主教大弾圧、丙寅邪獄、丙寅教難ともいう。在朝鮮外国人宣教師が処刑された事件で、ベルヌー司教ほか9名のフランス宣教師、8000名におよぶ信者が処刑された。捕盗大将李景夏の活動が有名。
フランスはこの事件へ抗議して、軍艦7隻・兵力約1500名を派遣し、殺害に対する賠償、責任者の処罰、通商条約の締結などを要求して江華府を占領した。大院君はこれらの要求を拒否し、撃退した。 - 丙寅洋擾(1866年)。
李氏朝鮮(1392年-1910年)は19世紀、キリスト教を禁じたが、宣教師は潜入、信者は絶えなかったので、何度か弾圧を行っている。
- 1801年 - 辛酉教獄 : 清国人宜教師周文謨・進士黄嗣永ほか300名あまりを処刑
- 1839年 - 己亥教獄 : フランス人宜教師アンベールほか200名あまりを処刑
- 1846年 - 丙午教獄 : 金大建ほか20名あまりを処刑
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