中二病
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中二病(ちゅうにびょう)とは、タレント・伊集院光がラジオ番組で提唱した、特に思春期の少年に見られる特徴的な行動例のことである。
子供と大人の過渡期、思春期特有の思想・行動・価値観の総称、成長過程における一種の熱中的な精神状態を、「熱病」に似た「症状」に比喩して、指し示している。
その「発症」(比喩)時期が日本の教育制度において中学2年生前後となることから、伊集院光がこう名付けた。
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概要
中二「病」とあるが、上述の通り実際に医者にかかる必要のある、いわゆる「病気」ではない。かつて「中二病患者」(比喩)であった高校生や成人が、当時の自分を振り返ったり、「発症」中の人間を見た時に、その言動が余りに幼稚で滑稽に見え、その上「病的」と言ってもよいほど無駄に熱く微妙に歪んでいると感じることから、自嘲と皮肉をこめて「中二病」と称する。
要するに、あくまで発達段階の一つ(中二病は俗語であり発達心理学などで認められうるものではない)の時期であり、個々で強弱はあれどもほとんどの人間が経験していると言ってよい[要出典]。その特徴が極端に出た者が「中二病患者」と分類される。 ただし、伊集院光自身が自分自身で欠点だと思う考え方や行動、また、伊集院光が中二病として認定したものが中二病である。その証拠に発達心理学などで認められている典型的な中学生の考え方や行動を全て「中二病」と表現されているわけではなく、その一部のみを切り取り、「中二病」として表現されている実際がある。
歴史
思春期の少年の特徴については、古来からたびたび語られてきたが、明確にこれらの「症状」(比喩)を「中二病」と名づけ、一般に広く知らしめるに至ったのは、ラジオ番組『伊集院光 深夜の馬鹿力』の1999年1月12日から同年3月23日間の番組内投稿企画『かかったかな?と思ったら中二病』というコーナーまで遡ることになる。
この企画内でパーソナリティの伊集院光が、「自分は未だ中二病患者であり、闘病中である」ことを明かし、リスナーからその「症例」を募ったことから徐々に体系化されていった。なお、このコーナーでは中二病的傾向のある者を馬鹿にするのではなく、むしろ自嘲気味に語って笑いをとるものであった。
この当時は熱狂的な伊集院リスナーの間だけで用いられた名称であったが、次第にウェブ上の日記やブログ・電子掲示板等を中心として「中二病」という言葉が浸透し始めてきている。
天久聖一、タナカカツキ『バカドリル』にも関連記述が見られる。
変化と派生
元々は上記のように自嘲の意味の強い単語だったが、様々な場所で使われていく間に自嘲の意味ではなく、「中二病」と呼ばれる「症状」の者を馬鹿にする意味合いで使われることも多くなった。そこから他者に対して「中二病」と連呼して批判したがる人間を「高二病」と呼び、その「高二病」を指摘して批判したがる者を「大二病」と呼び、その大二病を批判する者を「社二病」(社会人二年目病)と呼ぶといった奇妙な派生も生まれた。なお、後に、「高二病」から「社二病」まで、それぞれ各時点における成長過程における精神状態の特徴を列挙する試みもなされている[要出典]。
「治療法」
基本的に中二病は、第二次性徴期における自我の発達が行き過ぎたものでしかない。「他人とは違う自分」「もう子供ではない自分」「汚い大人ではない自分」を他者に対し強調する自意識過剰からくるものであり、個性的どころかよくある、誰でも通る道に過ぎない。大多数の者は歳をとり進学し社会に出るまで、様々な経験を積む事で現実世界での自分自身の立ち位置や他人との距離感を正しく認識し、自然と「中二病」は「改善」へと向かう。しかし、一部の人間は、高校へ進学し社会に出ても完治しない場合がある(直らない場合は「高二病」「大二病」への過程を歩む)。そのため、周りからはエキセントリックな人物として捉えられ、のけ者にされることもありうる。ここまでに至ると、純粋に本人の性格、人格によるものだと理解した方がよい。
自分の中にある「中二病」的要素を告白し、それを自虐ネタにしつつ仲間と朗らかに笑い合うのがこの言葉のもともとの使用法である。あたかも実際の病のように治療が必要だと考えたり、中二病だと人に思われることを怖れて萎縮したり、人の言動を中二病だと批判して改善を求めたりする一連の行為は、むしろ俎上にあがっている中二病の要素以上に自意識過剰な傾向を顕著に示すものである。
関連項目
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