中村成太郎 (二代目)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
二代目中村成太郎(にだいめ なかむらなりたろう、1900年(明治33年)9月1日 - 1980年(昭和55年)11月17日)は上方の歌舞伎役者。本名は吉野乾太郎。俳名に斗紅、雅号は乾堂。屋号新駒屋。紋は丸に剣片喰(けんかたばみ)、八重裏梅。
東京生まれ。1910年(明治43年)市川介六の名で初舞台。のち初代中村成太郎(後の初代中村魁車)の養子となる。1913年(大正2年)浪花座において中村太郎と改名。一時帰京するが、1929年(昭和4年)関西に復帰。1932年(昭和7年)二代目中村成太郎を襲名。花車方として戦中から戦後の関西歌舞伎で活躍。1973年(昭和48年)勲五等瑞宝章を受章。1974年(昭和49年)大阪市民表彰。
『廓文章』のおきさ、『封印切』のおえんなどが当り役。東京生まれながらも上品な上方の味を出すことが出来、その意味では貴重な役者であった。養父の名跡を継ぐ立場にあったが、関西歌舞伎の不振で充分に活躍できなかったのは惜しまれる。