京極高吉
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京極 高吉(きょうごく たかよし、永正5年(1508年) - 天正9年1月25日(1581年2月28日))は京極高清(高秀)の子。高佳と表記される場合もある。
京極氏は近江、出雲の守護であったが、内紛で衰え、守護代の浅井亮政の下克上にあって国を奪われた一族である。しかし浅井氏はこのことがよほど後ろめたかったのか、高吉に浅井久政の娘(京極マリア)を嫁がせて縁戚関係を結んでいるのである。
将軍・足利義輝の幕臣として仕えたが、1565年に義輝が暗殺されると、弟の足利義昭の擁立に尽力する。だが、義昭が織田信長と対立すると、高吉は義昭を見限って信長に付き、子の京極高次を信長の家臣として仕えさせ、自身は隠居した。
1581年、妻とともに安土城にてグネッキ・ソルディ・オルガンティノからキリスト教徒としての洗礼を受ける。だが、その数日後に突如として他界した。高齢のためということもあったのかもしれないが、突然の死去に、人々は仏罰で没したと噂した。