京都小学生殺害事件
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京都小学生殺害事件(きょうとしょうがくせいさつがいじけん)とは、1999年(平成11年)に京都府京都市伏見区で起きた殺人事件である。犯行声明に書かれた単語から、てるくはのる事件ともいう。
1999年(平成11年)12月21日午後2時頃、京都市伏見区の京都市立日野小学校校庭で、遊んでいた同校2年生の児童が、覆面をした若い男性(当初、小学校高学年から中学生と見られた)にナイフで刺殺され、犯人は自転車で逃走した。犯行現場には、凶器となったナイフや金槌など数点の物品の他、犯行声明と見られる手書き文書のコピー6枚が遺留されていた。その文書には、自分が小学校を攻撃することや小学校に恨みがあること、自分を探すなという要求を記した上で署名のように「私を識別する記号 てるくはのる」と書かれていた。
この「てるくはのる」という単語に深い意味があると考えたマスコミや一般の人々は、様々にその謎を解説し、犯人像に結びつけようと試みた。
京都府警察による捜査の結果、犯行2日前に現場から4キロメートルほど離れた京都府宇治市内のホームセンターで、遺留品と同じナイフなどを買った若い男性が浮上した。そして、ホームセンターの防犯ビデオに写っていた男性と風貌が似ており、かねて学校教育に不満を抱いていたとみられる、同区内に住む21歳の浪人生男性を犯人と断定した。
翌2000年(平成12年)2月5日午前7時、京都府警伏見署は、男性宅を訪ね任意同行を求めた。捜査員に対し、男性は署への同行を拒み、母親の説得により午前8時20分頃、自宅近くの公園で捜査員と話をすることには応じた。捜査員は、公園でも署へ同行するよう男性の説得を続けた。しかし、男性は同行を拒み続け、午前11時50分頃、捜査員の隙を見て逃げ出した。男性は付近のマンションに逃げ込み、屋上に上がって鍵をかけた。警察は午後0時30分頃に男性を発見したものの屋上の鍵を開けることに手間取り、午後0時40分頃、男性は飛び降り自殺した。京都地方裁判所は男性死亡の5分後に逮捕状を発付した。
捜査員が男性宅からの押収品を分析したところ、「名言名句416ページ」と書かれたメモが発見された。同室の本棚にあった名言集の416ページには、「か行」索引があり、その末尾の文字を左から読むと「てるくはのる」となった。そのため、「てるくはのる」に深い意味はないと断定された(ただ、当時のニュース番組「ズームイン!!朝!」の報道によると、「てるくはのる」は「ドラクエ6」という仮説もある。何故そうなるかというと「てるくはのる」を数字に変換し、「10698-6」となり、さらにこれを文字に変換すると「どらくえー6」という解釈がなされたためである。他にも『金田一少年の事件簿』に登場した暗号を用いた分析などいくつかの説がある)。
その後、京都地方検察庁はこの男性について、被疑者死亡のため不起訴処分とした。
小学校校庭で起きたこの小学生殺人事件は、国民に衝撃を与えると共に、任意同行を求めた被疑者に自殺されるという警察の失態は、国民の痛烈な批判を浴びることとなった。