伊勢崎空襲
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伊勢崎空襲(いせさきくうしゅう)とは、1945年8月14日深夜から翌8月15日未明にかけて群馬県伊勢崎市とその周辺地域が受けたアメリカ軍による空襲。太平洋戦争において秋田県秋田市の秋田・土崎空襲と並んでアメリカ軍最後の日本本土空襲となった。
[編集] 概要
1945年8月14日深夜、84機の米軍機が伊勢崎市と周辺の佐波郡3村に飛来し614.1tの焼夷弾、27発の爆弾を投下した。空襲は終戦日となる8月15日未明まで続いた。この空襲で死者29人、重軽傷者150人、1953戸の家屋が焼失(共に伊勢崎市の被害のみ)した。市街地の約40%が焼失したが、空襲当日が無風状態だったことや広大な防空空き地を設置していたために類焼が食い止められ、人的被害は最小限に抑えられた。
[編集] 主な被災建造物
- 北国民学校
- 織物組合
[編集] 参考資料
- 「伊勢崎の歴史」 伊勢崎市刊
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