伊沢利光
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伊澤 利光(いざわ としみつ、1968年3月2日 - )は、神奈川県鎌倉市出身のプロゴルファーである。ゴルフ場経営者である父親の手ほどきを受けて、8歳からゴルフを始める。
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[編集] プロフィール
身長169cmの小柄な身体から繰り出されるスイングの美しさには定評がある。プロゴルファーでも伊澤のスイングに憧れる人たちが多い。
海外参戦時の登録名は「Toshi Izawa」。英語に苦手意識が強いこともあり、海外参戦は比較的少ないが、メジャー大会では勝負強いゴルフを展開できる選手。
なお、日本国内ツアーにおいては2005年までは登録名を「伊沢利光」としていたが2006年から「伊澤利光」としている。
[編集] 略歴
日本体育大学を3年で中退し、1989年にプロゴルファーテストに合格。直ちにアメリカへ渡り、「ナイキ・ツアー」(PGAツアーの“3軍レベル”の組織)で4年間修業を積んだ。1993年に日本へ帰国、尾崎将司に師事し始める。1995年に日本のゴルフ・メジャー大会のひとつである「日本オープン選手権」でツアー初優勝を果たした。
2001年4月、マスターズ・トーナメントで日本人史上最高の4位入賞を果たす。この時の10アンダーパー(-10、278ストローク)も日本人選手の史上最少スコアであった。この年は日本ツアーでも5勝を挙げ、初の日本ツアー賞金王(賞金ランキング1位)に輝く。この年の獲得賞金額は、尾崎将司が1994年に記録した額を上回り日本ツアー史上最高額となった。(但し、海外獲得賞金も含む。)翌2002年は低迷に悩んだが、12月にメキシコで開催された世界ゴルフ選手権の「EMCワールドカップ」で丸山茂樹とコンビを組んで優勝を飾り、日本に45年ぶりの“世界一”の名誉をもたらす活躍をした。2003年には年間2勝を挙げ2年ぶり2度目の賞金王になる。2004年は賞金ランキング26位と不本意な年だった。2005年には『アンダーアーマーKBCオーガスタ』でツアー通算15勝目を飾り、賞金ランキング11位とした。しかし2006年は「伊澤利光」と登録名を変更して挑んだものの、思った成績を残すことができず賞金ランキンク78位と賞金によるシード権を失った(但し賞金ランキング以外の特別シード権を保有しているため2007年もツアーには出場できる)。しかし、2007年は用具契約を一新して巻き返しを誓う。