伊集院久治
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伊集院 久治(いじゅういん ひさはる、天文3年(1534年) - 慶長12年(1607年))は、薩摩の戦国大名、島津氏の家臣。父は伊集院久道。名は三郎兵衛、右衛門兵衛尉。号は抱節。官は下野守。子に伊集院久元。
久治の家は島津家の重臣である伊集院忠朗とは別流で、伊集院氏5代忠国から分かれた家である。日向福島、薩摩桜島・市来・出水、大隅高山の地頭を務めた。天正8年(1580年)、阿蘇氏家臣・中村維冬の守る肥前矢崎城攻め、同綱田城攻め、また同14年(1586年)、大友氏攻略のため豊後諸城を攻めるなど九州各地を転戦。同19年(1591年)から慶長10年(1605年)まで島津氏の家老として義久・義弘・家久の三代に仕えるが、翌年義久と天草城を巡る意見の相違から家老を辞す。慶長12年(1607年)、死去。