伏見宮貞敬親王
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伏見宮貞敬親王(ふしみのみや さだゆきしんのう、安永4年12月10日(1776年1月1日) - 天保12年1月21日(1841年2月12日))は、江戸時代の日本の皇族。伏見宮第19代。伏見宮邦頼親王の王子。幼称は嘉禰宮(かねのみや)。
寛政9年(1797年)8月親王宣下。貞敬と命名される。同月元服し、上野太守に補任され三品に叙せられる。享和2年(1802年)父邦頼親王が薨去したことにより伏見宮を相続する。文化元年(1804年)兵部卿となり、翌文化2年(1805年)には二品に昇叙される。文化8年(1811年)一条輝良の女輝子(てるこ)と結婚する。天保12年(1841年)正月一品に昇叙するが、間もなく薨去した。67歳。
貞敬親王は子宝に恵まれ、第1王子で伏見宮を継いだ邦家親王を始め梨本宮守脩親王ら多くの王子女を儲け、同様に子福者であった邦家親王とともに伏見宮隆盛のきっかけを作った人と目されている。
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