佟健
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佟健(とうけん、Tong Jian、1979年8月15日 - )は中国のフィギュアスケート選手。種目はペア。パートナーは龐清。ハルビン生まれ。コーチは姚濱。
[編集] 概要
申雪&趙宏博が切り開いた中国のペアの伝統を継承する世界王者が龐清&佟健組である。1985年、6歳の時にフィギュアスケートを始める。当初はシングルの選手であったが1991年にアイスダンス、1993年にペアに転向する。ペアでのパートナーは当初より佟健であった。
しかし彼らのペア転向直後、コーチの姚濱が本拠地を北京に移してしまった為(彼らはハルビン残留を選んだ)、1993年から1997年までチームはコーチ無しで練習するという事態に陥る。1998-99シーズンより本格的に国際競技会に登場。このシーズンはユニバーシアード2位、中国選手権優勝、四大陸選手権5位、世界選手権14位、ジュニア世界選手権8位など。グランプリシリーズ参戦は翌シーズンからで、スケート・カナダ、カップ・オブ・ロシアで5位に入っている。
初のメジャー・タイトルは2002年の四大陸選手権。またこのシーズンはグランプリシリーズでもスケート・アメリカとラリック・トロフィーで3位入賞。ソルトレイクシティオリンピックでは9位、世界選手権5位。しかしこの頃までのチームはジャンプの高さ以外に見るべきものが無い、雑な演技しか印象に残らないものであった。
チームが急成長を遂げるのは翌2002-2003シーズンに入ってからである。この頃よりチームは両選手の同期、動きの滑らかさ、氷上、細やかな動作などが一気に進化し、世界の強豪の仲間入りを果たす。グランプリシリーズでもスケート・カナダとカップ・オブ・ロシア2位、スケート・アメリカ優勝と快進撃を続け、世界選手権では4位にまで食い込む。翌シーズンには完全に世界のトップクラスとして認知され、世界選手権では3位となった。この時の優勝がタチアナ・トトミアニナ&マキシム・マリニンで2位が申雪&趙宏博であるから、この時点でチームの上に存在していたのは歴史的な名チーム2組のみだったのだ。
翌2004-2005シーズンは後輩の張丹&張昊組に世界選手権で遅れを取ってメダルを逃すことになった。2005-2006シーズンはトリノオリンピックで4位となるも、続く世界選手権で優勝。2006-2007シーズンは体調不良によって出遅れるも、世界選手権では2位に入った。
[編集] 演技
姚濱門下に共通するダイナミックさが最大の持ち味である。