張丹
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フィギュアスケート | ||
銀 | 2006 | ペア |
張丹(ちょう たん、Zhang Dan、1985年10月4日 - )は中華人民共和国のフィギュアスケート選手。種目はペア。ハルビン生まれ。コーチは姚濱。身長164センチ。体重48キロ。パーソナル・ベストは190.97(2006年、スケートカナダにおける)。趣味はダンス、水泳、バドミントン、裁縫。
[編集] 来歴
中国のスケート競技のメッカ、ハルビン生まれ。この町からは申雪、張昊、龐清、佟健というように、数々の優秀な選手が次々と現れているが、彼女もその中の一人である。
スケートを始めたのは1992年で、以来、名門のハルビン・スケートクラブに所属している。スケートを始めたきっかけは「母親の言いつけ」であったが、張丹はたちまちフィギュアスケートの虜になり、1997年には女子シングルのジュニア中国女王になっている。その翌年、ペアに転向。パートナーは最初から張昊(同じ苗字ではあるが二人の間に血縁関係や婚姻関係は無い)である。ペア転向のきっかけは「シングルより多彩な技が使えるから」。
1999-2000シーズンより国際舞台に登場。このシーズンはジュニア・グランプリ・シリーズの日本大会で優勝、カナダ大会で準優勝、ジュニア・グランプリ・ファイナル5位、ジュニア世界選手権5位、中国選手権2位という成績を残す。
翌2000-2001シーズンはジュニア・グランプリ・シリーズ中国大会、ノルウェー大会、ジュニア・グランプリ・ファイナル、ジュニア世界選手権を全て優勝し、ジュニア部門では無敵のチームに成長。2000年のジュニア世界選手権では史上初めてISUに公式に認定された4回転ツイスト・リフトを成功させている。ジュニア部門の参戦は2002-2003シーズンまで継続するが、以降は敗北知らずであった。
2001-2002シーズンにシニアでもデビュー。グランプリ・シリーズの登場は無かったものの四大陸選手権3位、世界選手権9位、ソルトレイクシティオリンピック11位など、早くも檜舞台を経験。この時の世界選手権で、今度はシニアで初めてISU認定の4回転ツイスト・リフトに成功。オリンピックのショートプログラムでは、ダイナミックな技の連続で観客を魅了し、スタンディングオベーションを受けた。
2002-2003シーズンにはグランプリ・シリーズ参戦。中国選手権では優勝している(ただしこのシーズン以降、申雪&趙宏博組は中国選手権に参戦していないので、彼等を破っての優勝ではない)。この頃の彼等はジャンプやスロー・ジャンプ、ツイスト・リフトなど跳び技・投げ技でこそ先輩譲りのダイナミックな演技を見せていたものの、技と技の繋ぎや挙措の点では荒削りなものであり、果たして申雪&趙宏博組が切り開いた中国ペア独特の「ダイナミズムと芸術性の高度な融合」を継承出来るものかは未知数であった。
しかし、彼等は大技以外の部分でも急速に力を付け、2003-2004シーズンには早くもグランプリ・シリーズ優勝(トロフィー・ラリック)、3位2回と世界の強豪の一角を占めるようになる。2004-2005シーズンには世界選手権3位にまで到達し、申雪&趙宏博組に肉薄する。この2シーズンでの彼等の演技の進歩は著しいものであり、同様に力を付けた同門の龐清&佟健組とともに、ペア競技に中国の時代が到来したことを感じさせた。
こうして充実した実力をもって臨んだトリノオリンピックでは当然のようにメダル獲得が期待されたが、フリー・プログラムにおいて恐るべき事態が発生する。4年前に申雪&趙宏博組が挑んで果たせなかった4回転スロー・ジャンプに挑戦した張丹は、着氷時に転倒し、左膝を負傷してしまったのである。このアクシデントで演技は一時中断され、張丹はチームドクターの診察を受ける。その痛がり方から見て、もはや演技続行は不可能かと思われたが、なんと張丹は演技続行を選び、痛みに耐えながら滑りきったのである。信じられないことに張丹は、負傷後のパートでサイド・バイ・サイドの2回転・3回転コンボまで成功させている。
この演技でチームは銀メダルを獲得。これは中国ペア史上、最高位の成績である。さらにチームは翌月の世界選手権にも出場。こちらでも2位に入り、彼等が今や世界のトップ・チームの一角であることを満天下に示したのだった。
[編集] 特徴
姚濱門下に共通するダイナミックな演技が持ち味である。身長は164センチとペア競技では異例なまでに高い(シングルでもこの身長は稀である)が、体型は極めて細い。身体能力は抜群であり、4回転スロー・ジャンプのクリーンな着氷を最初に成功させるのはおそらく彼女ではないかと目されている。
[編集] 主な戦績
- 冬期オリンピック2位
- 世界選手権2位、3位、5位、6位
- 四大陸選手権優勝1回、準優勝2回、3位1回
- グランプリ・ファイナル4度出場、2位1回、3位1回
- グランプリ・シリーズ12度出場、うち6回優勝、準優勝2回、3位2回。
- 中国選手権優勝1回、準優勝2回、3位2回。