偶像崇拝
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偶像崇拝(ぐうぞうすうはい)とは、神像、カリスマ的な人間の像、超常的な自然構造物などの偶像を崇拝する行為のこと。その行為に対する否定の気持ちが込められた表現である。
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[編集] 歴史
[編集] アブラハムの宗教
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教においては、偶像を崇拝することは、唯一絶対な存在である神ではなく、人間や自然が作った物を崇拝する行為であるとして罪として禁止されている(出エジプト記 20:4; ヨハネ第一 5:21)。
- あなたは自分のために刻んだ像を造ってはいけない。天にあるもの、地にあるもの、水のなかにあるものの、どんな形(あるもの)も造ってはいけない。それにひれ伏してはいけない。それに仕えてはいけない。(出エジプト記 20:4、「モーセの十戒」)
[編集] 仏教
仏教においても、釈迦は「私の姿を拝んでどうしようというのか?」と言い、偶像崇拝をはっきりと否定していた。
[編集] 解釈の変容と多様性
ただし、どのような行為を偶像崇拝とみなすかは宗教によって見解が分かれるようになった。礼拝対象を像そのものと見るか、像の表現するものと見るかで、偶像崇拝かどうか判断がわかれるからである。
[編集] アブラハムの宗教
概論を述べるならば、ユダヤ教・イスラム教は前者の立場(礼拝行為の対象を像そのものと見なす)をとり厳しい態度を示す。キリスト教は一般に後者の立場(礼拝対象は像の表現するものと見なす)を取り、聖像を許容する傾向があると言えよう。
だが、各宗とも教派によっては異なった解釈をすることがある。すなわち、ユダヤ教やイスラム教においても、かならずしも聖像が全否定されるわけではなく、例えば紀元前後のユダヤ教はシナゴーグ装飾において自由な描出を許していたことで知られ、またイスラム教のシーア派などでは聖像使用に寛容な傾向がみられる。キリスト教においても時代・教派によっては、聖像と偶像の間に差別を設けず、厳しく否定したことがある。もっとも代表的な例として聖像破壊論争を挙げることが出来る。
[編集] 仏教
上記のごとく釈迦は偶像崇拝を否定しており、釈迦の入滅後200~500年間は釈迦の本来の教えは守られ、仏像というものは存在しなかった。インドの初期仏教美術の仏伝図(釈迦の生涯を表現したレリーフ等)においても、釈迦の姿は表されず、菩提樹、台座、足跡などによって、釈迦の存在が暗示されるのみであった。
だが次第に人々の間に、釈迦の象徴としてストゥーパ(卒塔婆、釈迦の遺骨を祀ったもの)、法輪(仏の教えが広まる様子を輪で表現したもの)や、仏足石(釈迦の足跡を刻んだ石)、菩提樹などを礼拝する傾向が生まれ、釈迦入滅後数百年経つと、釈迦の本来の意図とは異なり、仏像が出現することになった。
[編集] 偶像排斥運動
偶像崇拝を否定する宗教では、他宗教の偶像・聖像に対してきわめて否定的になり、それを破壊することがある。
[編集] イスラム教の場合
イスラム共同体(ウンマ)がマッカ(メッカ)を征服したとき、預言者ムハンマドがカアバ神殿に置かれていた神像を偶像として自ら破壊したといわれる。
現代における聖像否定の極端な例は、アフガニスタンのターリバーン政権によるバーミヤーン石仏の破壊である。これには、全世界からターリバーン政権への非難が集中した。が、さらに追い討ちをかけるような事が起こっている。ターリバーン政権はこの破壊行為の後、「バーミヤーンの石仏の破壊行為が偶像の破壊なら、博物館に展示されているヒンドゥー教の神像も総て破壊しなければならないではないか」とイスラム圏諸国からも非難された。これに対してターリバーン政権は、「アフガニスタン国内に、仏教徒はいないが、ヒンドゥー教徒はいる。信教の自由を保障するためにも、ヒンドゥー教の神像は破壊できない」と返答したため、全世界からますます怒りと顰蹙とを買う羽目になった。この事からも、ターリバーンの聖像破壊運動は、御都合主義的な要素を含んでいる事は明白である。