僧兵
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![僧兵弁慶と源義経](../../../upload/shared/thumb/d/d8/Yoshitsune_with_benkei.jpg/200px-Yoshitsune_with_benkei.jpg)
僧兵(そうへい)は、日本の古代後期から中世、近世初頭にかけて存在した僧形の武者である法師武者あるいは武装した僧侶を僧衆、悪僧と同時代でいうが、それを江戸時代以降の「僧兵」と呼称したことばである。ちなみに悪僧の「悪」は悪党の悪と同じで「強い」という意味合いである。
主に寺院に所属する武装集団である。これに対し、神社に所属する武装集団を神人(じにん)という。
京都・奈良の大寺院の雑役に服する大衆(堂衆)が自衛武装したもの。平安時代末期には強大な武力集団となり、興福寺・延暦寺・園城寺、東大寺などの寺院を拠点として、寺院同士の勢力争いや、朝廷や摂関家に対して強訴をくりかえした。以仁王の乱では平家とも争う。『平家物語』などにも、その描写がみられる。特に、興福寺(南都)は衆徒(奈良法師)、延暦寺(北嶺)は山法師と呼ばれた。
実在したとされる人物として、平安時代後期の源義経の郎党で元は延暦寺の山法師であった武蔵坊弁慶や、宝蔵院覚禅房胤栄(宝蔵院流槍術開祖)などが有名。胤栄は延暦寺(宝蔵院は延暦寺の塔頭のひとつ)の山法師。
白河法皇は、自分の意のままにならないものは「賀茂川の水(鴨川の流れ)・双六の賽(の目)・山法師(比叡山)」であると慨嘆した。この言葉の前二者は、水の流れやサイコロを意のままに操ろうということではなく、治水と賭博を表しているとされ、これらと並んで僧兵の横暴が朝廷の不安要素であったことがうかがえる。
その風貌は絵巻物などに描かれ、頭を包む布や、高下駄、薙刀などが特徴とされる。髪は剃っていなかった可能性が高い。
戦国時代には延暦寺、根来寺などの僧衆が戦国大名と並ぶ勢力を持つが、織田信長らの寺院焼き討ち、寺領解体により消滅する。
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