共同運輸会社
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共同運輸会社(きょうどううんゆがいしゃ)は、三井財閥などの反三菱財閥勢力が投資しあい、東京風帆船会社・北海道運輸会社・越中風帆船会社の三社が合併して1882年7月に創立された船会社。
[編集] 背景
当時、三菱の海運事業「郵便汽船三菱会社」(国有会社であった「日本国郵便蒸気船会社」と三菱商会が合併して設立された)が大規模な値下げ攻勢で勢力を広げ、欧米系の船会社に握られていた日本の航海自主権を取り返したが、一方で日本国内の中小の船会社も追い出されてしまった。独占的な地位を得た郵便汽船三菱会社は運賃を上げて大きな利益を上げていた。
しかし三菱の独占と専横を快く思わない渋沢栄一や井上馨らが三菱に対抗できる海運会社の設立を画策、政府の出資も得、東京風帆船会社、北海道運輸会社、越中風帆船会社の三社が結集して1882年7月に共同運輸会社を設立させ、翌1883年営業を開始した。但し越中風帆船会社については、反三菱勢力として設立されたのではなく三菱の画策によって設立されたものである。三菱は再度値下げ攻勢で共同運輸を退場させようとしたが、政府の後援のある共同運輸は更なる値下げで対抗。続く2年間はダンピング競争で海上運賃は大幅に安くなったが両社は完全に消耗した。
共倒れを恐れた政府が両者の間に入り、1885年に郵便汽船三菱会社と合併して日本郵船となった。