内法 (沖縄)
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内法(ないほう)とは、琉球王国時代の沖縄において、間切や村の共同体秩序を守るために定められた掟のことである。
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[編集] 概要
「内法」という語は、首里の王府が使った行政用語で、村人は「村締(むらじまい)」「村固(むらがたみ)」「村吟味(むらじんみ)」と呼んでいた。
琉球王国廃止後も、「旧慣温存」政策で存続が認められた(ただし、その執行には県庁等の許可が必要)。しかし、「内法の執行」と称するリンチ殺人(制縛致死事件)や人権侵害が相次いだため、警察が指導に乗り出し、昭和初期までにほぼ根絶された。
[編集] 内法の問題点
内法には、入会地の私用禁止などの常識的な部分もあるが、その反面、当時の法律や大日本帝国憲法にすら反する部分もあり、警察を中心に強い批判があった。
[編集] 内法による人権侵害事件
- 制縛致死事件
- 1907年(明治40年)に具志頭間切(現在の八重瀬町)で起きたリンチ殺人事件である。村内で盗難事件が発生し、その「窃盗犯」とされた被害者をガジュマルの枝に吊り下げて、殴る蹴るの暴行を加え死に至らしめた事件である。裁判で主犯に懲役12年、その他の3人に懲役9年の実刑が言い渡された。
- その他の事件
- 1916年(大正5年)に浦添村(現在の浦添市)において、他の字の人間と結婚した夫婦に罰金を徴収。←大日本帝国憲法第22条「日本臣民ハ法律ノ範囲内ニ於テ居住及移転ノ自由ヲ有ス」に違反
- 1916年(大正5年)に宜野湾村(現在の宜野湾市)において、多数派が村長派との交際禁止を決議し、違反者に罰金を徴収。←大日本帝国憲法第23条「日本臣民ハ法律ニ依ルニ非スシテ逮捕監禁審問処罰ヲ受クルコトナシ」に違反