別所友之
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別所 友之(べっしょ ともゆき、永禄3年(1560年) - 天正8年1月17日(1580年2月2日))は戦国時代後期・安土桃山時代の武将。別所安治の次男。通称:彦進。兄に別所長治、弟に別所治定がいる。
若年でありながら、勇猛で近隣に勇名を轟かせる。 兄・長治に従い、織田信長に反抗する。しかし、長治から命を受けて宮の上の構えを守っていたが、羽柴秀吉の軍勢に攻め込まれ、善戦するも空しく、長治ら3200の兵が籠る三木城に合流した。 しかし、1580年に味方は降伏。友之は17歳の妻を先に刺殺し、長治の脇差で切腹自害した。享年21。『信長公記』では長治と友之の享年をそれぞれ26、25としている。
友之の辞世の句
命をもおしまざりけり梓弓すゑの世までも名の残れとて
友之妻の辞世の句
たのめこし後の世までに翅をもならぶる鳥のちぎりなりけり