Wikipedia:削除依頼/LGBTの人物関連 Category
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
[編集] LGBTの人物関連 Category
以下のカテゴリが量産されているが、不適切である。リストを列挙した後、理由を述べる。--Maris stella 2006年12月15日 (金) 22:10 (UTC)
- Category:LGBTの人物 - ノート
- Category:アメリカ合衆国のLGBTの人物 - ノート
- Category:イギリスのLGBTの人物 - ノート
- Category:日本のLGBTの人物 - ノート
- Category:LGBTの政治家 - ノート
- Category:LGBTの俳優 - ノート
- Category: LGBTのミュージシャン - ノート
- Category:LGBT人権活動家 - ノート
LBGTの人物に関しては、国別と職業別のカテゴリを造っているが、国別のカテゴリは増やしてゆくと、100を越えるカテゴリができる可能性があり、他方、職業別のカテゴリは、「LGBTの学者」とか「LGBTの哲学者」「LGBTの芸術家」「LGBTの画家」「LGBTの軍人」「LGBTの企業経営者」など、無限とは云わないが、際限がないとも云える。更に、国別と職業別は重複してくる。実際、ハーヴェイ・ミルクの記事で見ると、「LGBTの政治家」、「アメリカ合衆国のLGBTの人物」、更に「LGBT人権活動家」のカテゴリが付いており、過剰かつ重複している。
また重要なこととして、LGBTの概念や言葉は、20世紀半ばから後半に欧米で成立した言葉・概念であり、歴史的人物に関しては、そもそも、その人が「LGBTの人物」に該当するのかどうか、基準が不明である。同性愛の記録のある人物とか、日本なら男色を行っていた者、稚児愛のあった者、あるいは一般に異性の服装をしていたという記録がある人は、このカテゴリのなかに分類される可能性があるが、そういうカテゴリ設定が、どういう根拠があるのか、またいかなる意味を持っているのか不明である。
これに対しては、記事として「LGBTとされる人物」とか「LGBTの人権活動家」などの一種の一覧リストを造り(ただし、これも項目は厳選しないとならない)、そこに掲載し、この項目を、「Category:LGBT」に入れるのが合理的である。確かに、「LGBTのミュジーシャン」とか、関心のある人には、カテゴリでリストが出てくると便利かも知れないが、どこまで根拠があるのか一々問題になり、更にすでに述べたようにカテゴリ濫造と、安易なカテゴリ濫用のマイナス面があまりにも大きすぎる(収拾がつかなくなってからでは遅いので、早めに対応を提案する)。
(すべて削除)理由は上述の通り。--Maris stella 2006年12月15日 (金) 22:10 (UTC)- (削除)人物については、積極的に公開しているかどうか検証困難な人物も多いと思われるので削除が望ましい。広く捉えれば、戦国武将(武田信玄)なども含まれることになるが、時代背景などから考えて安易に含めるべきではないと考えます。--Tiyoringo 2006年12月16日 (土) 05:07 (UTC)
- (LGBT人権活動家のみ存続、それ以外は現状では削除)LGBTが時として差別・偏見を生む以上、無制限にカテゴリを作り、また、無制限にカテゴライズしていくべきではありません。本人が、或いは当該団体が、積極的にこれを名乗っているのであれば問題は無いでしょうが、それでも無制限にカテゴリを増やす事には疑問があります。故に、まずはどのような人物・団体をカテゴライズし、又はしないのか、どういった条件でカテゴリを追加していくのか、その辺りのガイドラインを明確にすべきかと思われます。よって、LGBT人権活動家は暫定的に存続、ノートで徹底議論後にrootとなるLGBTの人物から順に改めて作ることが宜しくはないでしょうか。--٢١٩.١٧٤.١٥٨.٢٢٥ 2006年12月16日 (土) 05:43 (UTC)
- (存続。ただし国別職業別カテゴリは削除)LGBTを基に活動する中村中やハーヴェイ・ミルクの項目において、当人が「LGBTであること」は「俳優であること」や「政治家であること」と同等に人物像を語る上で重要なキーワードであり、彼らを包括するカテゴリは有益である。検証可能性がない人物はカテゴリを付与しなければよい。そもそも社会学上の概念を基に作られたカテゴリが、時代を越えて通用しないのはいたしかたない。「帰化」は国籍概念の成立なくして成り立たないが、Category:帰化日本人の人物は存在しうる。古代の渡来人はどうするのか?カテゴリからは除外するしかない。「フェミニズム」とそれに付随する「フェミニスト」は市民革命と産業革命以降誕生した概念だが、カテゴリCategory:フェミニストは存在しうる。概念成立以前に類似の振る舞いをした人物は除外するしかない。「LGBT」にも同様のことがいえ、ここら辺は定義できちんと書くことで解決可能である。ただしCategory‐ノート:LGBTの人物を読むと、「細分化が過ぎる」という意見がある。確かに項目数が最多のCategory:日本のLGBTの人物ですら16項目しかなく、カテゴリの最低項目数として規定される20項目に満たない。その結果が過剰なカテゴリ付与というマイナス面を生んでいる。よって、6つのサブカテゴリは細分化を理由に削除すべきと考える。--Klb 2006年12月16日 (土) 07:09 (UTC)
- (全て存続) - Wikipedia:カテゴリの方針#カテゴリ内の記事数はあくまで目安でしかなく、「注:本項目は現時点で広く合意されている内容ではなく、異論の余地があります」との注記もある。これをもって直ちに削除理由とすることはできない。「時として差別・偏見を生む」ことが理由であれば、Category:帰化日本人の人物と「帰化」にまつわる一連のカテゴリも削除対象になる。帰化にまつわるカテゴリと同様に、「自身がLGBTであると認めて公開している人物」と定義することが可能。帰化と同様に、本人が公開していない場合は、Wikipedia:削除の方針#ケース B-2:プライバシー問題に関してによりその都度編集あるいは削除対応となる。従って、カテゴリの作成・記事への付与は限定的なものにとどまる。削除依頼各カテゴリの冒頭定義文でもWikipedia:存命人物の伝記を引用するなどして、カテゴリ付与にあたって充分検討するように呼びかけている。--わたあめひみつ 2006年12月16日 (土) 09:26 (UTC)
- (
削除保留)この手の「既存の記事の中から自分の好きな記事だけをピックアップするカテゴリ」は、記事全体の分類・整理というカテゴリ機能の目的には全く寄与しない。原則、一覧記事で足りる。どうしても必要というのであればカテゴリ作成者がその理由を説明する必要がある。--猪山人 2006年12月17日 (日) 01:31 (UTC)- (コメント) - 一覧記事とカテゴリは対立・二者択一の関係ではなく、両立するもの。カテゴリ冒頭に定義文も置いてあり、恣意的なものではない。--わたあめひみつ 2006年12月17日 (日) 11:15 (UTC)
- (保留に変更)「この手の『自分の好きな記事だけをピックアップするカテゴリ』は記事全体の分類・整理に全く寄与しない」という見解自体には変わりはないが、現行ルールの中で明確に廃止を主張するのは難しいため保留に変更。「自分の好きな記事だけをピックアップするカテゴリ」の例としては、Category:帰化日本人の人物もそうだが、他にもCategory:自殺した人物、Category:億万長者、Category:破門、Category:表現規制問題に関連する人物などが既にある。上の「LGBTの人物」と同じ理屈で、「アメリカ合衆国の自殺した人物」「イギリスの自殺した人物」「日本の自殺した人物」「自殺した政治家」「自殺した俳優」「自殺したミュージシャン 」などと濫造されると際限がなく、収拾がつかなくなる。この手のカテゴリが一律に不要とは言わないが、思いつくままに自由に作成されるのが許容されるとも思えない。人物伝の記事の一般法として「Wikipedia:ウィキプロジェクト 人物伝」あたりを立ち上げ、この手のカテゴリの扱いを明確化しておくべきと考える。ウィキペディア日本語版の将来を見据えれば、早めの対応が必要ではないか。--猪山人 2006年12月18日 (月) 10:04 (UTC)
- (コメント) - 一覧記事とカテゴリは対立・二者択一の関係ではなく、両立するもの。カテゴリ冒頭に定義文も置いてあり、恣意的なものではない。--わたあめひみつ 2006年12月17日 (日) 11:15 (UTC)
- (全て存続)…既に英国版で示される推論1基あたりに Cleduc 2006年12月18日 (月) 05:49 (UTC)
- (存続)英語版にあるものに基づいて作成されており、これらを削除せよという意見は今後10年100年単位に渡り増強されていくであろうウィキペディア日本語版の将来を全く見据えていない。依頼者は基本的に削除するのではなく加筆するというスタンスを心がけるべきである。Sionnach 2006年12月18日 (月) 03:44 (UTC)
- (存続)そもそも依頼理由に不備、カテゴリーが量産されようが、中身があるのならば問題はない。LGBTのプロジェクトでも立ち上げて議論するのが先であると思う。(現行のプロジェクトでは若干不適切であるとも思われるので)--ゞ( ̄ー ̄ )アロエ 2006年12月18日 (月) 17:46 (UTC)
- (全存続+取り下げ要求)依頼不備。Maris stellaには取り下げを求める。--亀 2006年12月19日 (火) 03:47 (UTC)
- (コメント)本当は「存続」と書きたいのですが、投稿回数が足りず権利がありません。せめてコメントだけはさせてください。
必要性はあります。平和を訴える運動家に「平和主義者」カテゴリ、女性の権利を訴える運動家に「フェミニスト」カテゴリをつけるように、同性愛の人権を訴える運動家は「LGBT人権活動家」カテゴリをつけるしかないと思うんです。カテゴリを削除したら、赤杉康伸氏とジョー・ソルモニーズ氏はどんなカテゴリをつければいいんですか?それにCategory:日本のLGBTの人物を見てください。どなたもゲイ漫画家だったりLGBT文化を語るのにかかせない人たちばかりです。
現状に問題点があることも事実です。定義を明確にしなければならない、プライバシーに配慮しなければならない、は言うまでもありませんが、手当たりしだいにつけないというのも重要でしょう。美智子皇后が優れたピアニストだからといって「ピアニスト」カテゴリをつけません。芸能人が趣味でキャラクターグッズを集めていても「コレクター」カテゴリをつけません。その人の公的な業績と無縁のプライベートな理由でカテゴリをつけていったら、カテゴリから有意義性がどんどんなくなっていきますもの。そういう意味ではLGBT関係の公的活動がないケインズに「イギリスのLGBTの人物」カテゴリがつけられているのは問題だと思います。
ですが、「ちゃんと定義できない(できていない)から、プライバシーが危ういから、有意義性がないつけかたをされているから、削除する」ではなく「ちゃんと定義して、プライバシーに配慮して、有意義性があるつけかたのガイドラインを決めて、使えるものにする」のが建設的でしょう。改良の検討もせずにいきなり削除するのは安易なカテゴリ削除のマイナス面があまりに大きすぎると思うのです。それに、本当に定義できないのなら「LGBTとされる人物」なんてリストを作るのは二重の意味で問題だと思います。
さしあたっては、Wikipedia:存命人物の伝記#Use of categories:カテゴリの使用についてを生死に関係なく適用することで、定義明確化とプライバシー保護と有意義性保持ができませんかという提案をしてみます。「項目人物が性的指向を公表していて、その人物の性的指向がその著名な活動や公的人生に重要な関連がある場合」・・・定義は明確です。性的指向を積極的にカミングアウトしているのですから、プライバシーの問題はありません。プライベートではLGBTだけど公の場ではLGBT活動と無縁、という人はカテゴリから外れ、LGBTの諸々と縁の深い人だけが残ります。武田信玄やらケインズにLGBTカテゴリをつけることはなくなるでしょう。
国別と職業別のカテゴリの乱造問題はCategory‐ノート:LGBTの人物#国籍別のサブカテゴリ作成基準で廃止か基準を作る案が浮上しています。ですから、無制限に作られるという心配はご無用です。国別と職業別のカテゴリの削除依頼は、少し待って決めてからでも遅くないと思います。
--yura 2006年12月19日 (火) 05:16 (UTC)- (コメント)保留票に変化はありませんがコメントを。
-
- > カテゴリを削除したら、赤杉康伸氏とジョー・ソルモニーズ氏はどんなカテゴリをつければいいんですか?
- →Category:LGBT人権活動家はカテゴリとしてあって悪くはないですが、削除したとしたら、付与すべきカテゴリはCategory:社会運動家およびCategory:日本の社会運動家とCategory:LGBTですね。機能としては全く同じになります。
- > Category:日本のLGBTの人物を見てください。どなたもゲイ漫画家だったりLGBT文化を語るのにかかせない人たちばかりです。
- →だからといってCategory:LGBTを細分化せねばならない必然性はありません。また、「LGBT文化を語る」ことが目的なのであれば、一覧記事の形として、LGBT文化を語るような説明つきで記述するのが適切ではないでしょうか。
- 記事の増加は法令違反などの問題がない限りウィキペディアの増強を意味し、歓迎されるべきことなのですが、カテゴリの無秩序な増加はウィキペディアの増強を意味しません。--猪山人 2006年12月19日 (火) 10:13 (UTC)
- (存続)Whose? 2006年12月19日 (火) 09:28 (UTC)
- (コメント・
全削除取り消し・「LGBTの人物」以外は削除)まず、英語版では、「LGBTの人物」だけではなく、レズビアンの芸術家、ゲイの音楽家、両性愛の芸術家、トランスジェンダーの芸術家他、LGBT関係のサブカテゴリは山のようにあります。以前に英語版でのカテゴリを調査したとき、あまりにたくさんあるのでうんざりした思いがあります。しかし、何かおかしいという疑念があります。これらのカテゴリは、「人間に付与するカテゴリ」だということです。しかし、英語版であれだけ大量にLGBTや性的指向関係の記事がありカテゴリがある以上、それらを日本語版に移入しようという企図やそれを実行に移すことは避けられないように思える。念のため、ノートに、半年ほど前に調べたときに、存在していたLGFBT関係のカテゴリの一部を記しておくが(実際、どれぐらいたくさんカテゴリがあるかという証左の為)、これはあくまで、こういうことにはして欲しくないと言うことで、英語版にあるので、というのを理由として、過剰にカテゴリ濫造は回避したく思う。英語版は明らかに「カテゴリが過剰」で細分化され過ぎていると思う。この削除依頼でも、国別と職業別は、どちらかは少なくとも削除したいと思う。また「LGBT人権活動家」ではなく、「LGBT運動家」の方が良いとも思い、名称変更の為、「LGBT人権活動家」は削除がよいと思う。残すのは、とりあえず、Category:LGBTの人物だけでよいと思う。国別や職業別は、既存カテゴリと重なって来るので(職業・国籍などは、別のカテゴリが示している)削除が望ましい(参考:削除依頼:ノート)。--Maris stella 2006年12月20日 (水) 05:30 (UTC) - (すべて削除・コメント)フランス語版とドイツ語版で調べてみたところ、「:Category:LGBT」に対応するカテゴリはそれぞれ、「fr:Catégorie:Homosexualité」と「de:Kategorie:Homosexualität」であり、そもそも「LGBT」というカテゴリが存在していない。人物に関しては、LGBT というような曖昧なカテゴリではなく、「同性愛」に該当するカテゴリを使用していて、「人物カテゴリ」ではない。つまり、人物をカテゴライズする場合も、「同性愛者」というカテゴリではなく、「同性愛」というカテゴリで分けている。この場合、例えばドイツ語版なら、「文学における同性愛」というカテゴリに、サッポーとかオスカー・ワイルドなどを入れている。この方法は、サッポーが本当に同性愛者であったのかどうか、ということは別に、少なくともサッポーはレスビアンの祖と云われ、女性同性愛を称える(ように見える)詩作品を書いていたのは事実なので、このカテゴリに入れることは問題ではないと思える。しかし、人物記事に対し、「ゲイ」とか「レスビアン」とか「同性愛者」というようなカテゴリを付けることは妥当とはとても思えない。そもそも人物を百科事典に掲載する規準は、その人の性的指向が何であったかで掲載するのではなく、何をしたか(業績)、何の歴史的事件や問題や主題について深く関係していたかで掲載するのであり、例えば、オスカー・ワイルドは確かに同性愛者かまたは年長対象の少年愛者であったと考えられるが、ワイルドは文学者としての業績故に百科事典に掲載する価値があるのであり、彼の記事に「同性愛」のカテゴリを付けるのは、彼の生涯や作家としての存在にとって、同性愛の問題が大きく関係していたからである。従って、「同性愛」のカテゴリを造り、そこに同性愛に関係した事項などと共に、同性愛に深く関係する人物を入れるのは問題がないと言えるが、「同性愛者」というカテゴリは不適切であり(現在、削除依頼に出されており、削除意見を出している。そのときには、「LGBTの人物」がより望ましいとの考えであった)、同様に「LGBTの人物」のカテゴリも不適切である。英語版は項目数が多いので、そのようなカテゴリがあるのかというと、違うと思える。「同性愛に関係する人物」はドイツ語版などでも多数掲載されているが、「同性愛の文学者」というカテゴリではない。英語版ではこれが「ゲイの文学者」とか「レスビアンの芸術家」などとなる。あるいは、英語版の「LGBTの政治家」に対応するドイツ語版のカテゴリは、「同性愛と政治」であって、人物を指すものではない。例外は、「LGBT-Aktivist」で、これは、「LGBTの活動家」または「運動家」で、LGBTとは社会運動の名であり、フェミニズムに対し、フェミンストのカテゴリがあると同様に、これは自然なことである。活動の業績で、百科事典に掲載される理由があるからである。英語版は、国別、職業別などの詳細な「LGBTの人々」のカテゴリがあるが、(en:Category:Lesbian, gay, bisexual, or transgender people参照)、そこで「日本のLGBTの人々」のカテゴリに三島由紀夫も入っているが、三島由紀夫は、同性愛者であったので、百科事典に載っているのではないはずである。生没年を別にすると、職業や専門分野のカテゴリが人物記事にカテゴリ設定されていても、「同性愛者」というようなカテゴリを貼る理由がない。英語版がおかしいのだとしか考えられない。従って、「LGBT運動家」または、現在なら「LGBT人権活動家」は存在意味があるが、それ以外はすべて削除が相応。なお、「LGBT人権活動家」は「人権」が余分であるので、これも削除すべきである(名を変えて作成するのがよいと思う)。--Maris stella 2006年12月20日 (水) 13:40 (UTC)
- (コメント)なんか表現が悪いかもしれないので最初に謝っておきます。すいません。さて、削除するべきかどうかというのは削除の方針にあるかどうかであり、他言語版がどうとかあなたの持論がどうだとか関係ないのです。そういった議論がしたいのであれば適切な場所で行ってください。現在の削除の方針では削除の対象にはなりません。名称についても名称が問題だというのならばそのことを適切な場で議論してください。ここはその場ではありません。必要ならプロジェクトを作るなりしてでも議論をしてください。あなたの意見を証明して反対や保留の人を賛成に回すための場ではないのです。そんなプロ市民みたいなことは見苦しいし、タダのじゃまです。ウザイです。--ゞ( ̄ー ̄ )アロエ 2006年12月20日 (水) 15:42 (UTC)
(LGBT人権活動家のみ存続、それ以外は現状では削除) 削除の方針の、ケース E: 百科事典的でない記事に該当すると考えます。 Category:目が2つある人、Category:男の人物、Category:朝起きたら歯を磨く人物、のようなもので、わざわざカテゴリ化する価値が低いと思われます。ただし、LGBT人権活動家は例外でしょう。 --fromm 2006年12月21日 (木) 02:50 (UTC)
- (全削除の後新カテゴリーを構築)日本語版には則さない上におよそ細かく分ける必要性の無いカテゴリーと考えます。
Category:LGBTの人物を残してそこに入れるか、同性愛というカテゴリにでもいれれば良いかと思います。少なくともこういった宗教的カテゴリは、英語版に則しているからというのは大いに問題があると考えます。Wikipedia:削除依頼/Category:イスラム教徒のバスケットボール選手が一番近い事例かと思われますが、英語版の問題としてこういった宗教系のある種差別に直結しかねないカテゴリが作られ、放置されていると言う現状があります。英語版はキリスト教根本主義が強いアメリカを含むウィキペディアであり、とかくこういったものについては、ドイツ語版(これはまあ、ちょっと難しいところですが)やアジア文化圏のウィキペディアで考えるべきかと思います。
- さて、どういう具合の処置かが問題なのですが・・このカテゴリは、入れる人物をある程度規定しないと、際限なく増えるという問題もあります。たとえば、日本なんかはすでに言われている武田信玄のほか、織田信長、伊達政宗なども含まれる可能性があり、海外に目を向ければソクラテスはもとより、ミケランジェロ・ブオナローティ、レオナルド・ダ・ヴィンチなども放り込まれる可能性はあるわけです。さて、こういったのを、同性愛者というカテゴリーにいれるのは不適切かと思います(その当時の風土を考えれば)。そうなると、近世の同性愛について活動を行った人物をカテゴライズするところのみを残すのが妥当と考えます。上ではCategory:LGBT人権活動家をのこして、となっていますが・・・そうですね、Category:同性愛に関する業績者、とでも項目を作って、そこにカテゴライズするのが良いかと思います。依頼されたものを全削除の後、しかるべき場所で論議し、作るべきかと。--koon1600 2006年12月21日 (木) 06:49 (UTC)ちょっと修正--koon1600 2006年12月21日 (木) 06:54 (UTC)
- LGBTカテゴリーはキリスト教原理主義だとか差別だとか的外れな論説が出ていますが、英語版wikipediaのはLGBTの利用者側から存続してほしいとの希望で残ったのです。[1] ジェンダー・セクシュアリティの区別は人種・民族と同じ個性であり、come outしたLGBTをことさら覆い隠すのは人格の否定だと考えられています。[2] yuraさんかMaris stellaさんの後の案でLGBTのカテゴリーは残してほしい。勝手な憶測でLGBTカテゴリーをタブーにするのは的外れだからやめてほしいです。1人のLGBTより。--—以上の署名の無いコメントは、203.140.42.86(会話/whois)氏が[2006年12月21日 (木) 10:52 (UTC)]に投稿したものです(ゞ( ̄ー ̄ )アロエによる付記)。
-
- (コメント)問題は「カテゴライズする必要が有るか、無いか」です。正直、同性愛者ならばその人の記事空間に載せれば十分であると私は考えます。というか、すくなくともカテゴリー1個あれば十分ですよね?また、こういった内容は「意図していなくても宗教問題が絡んでくる」内容です。ウィキペディアなんかは203.140.42.86さんも含めて匿名利用者が利用できるのですから、中には「宗教的差別の目的で」カテゴライズし、カテゴリーを製作する人間も、出る可能性は十分あるのです。もうひとつ、日本だと線引きが困難と言う問題もあります。戦国時代の人物なんかが特に該当し(といってもおもにバイセクシャルなのですが)、ある程度規定を定めてから動かさないとそれこそ際限なく増える可能性があります。そうですね・・・「:Category:同性愛に関する業績者」かCategory:LGBT人権活動家にサッポーとかそういったのをいれ、Category:LGBTにリストを入れて、それに追加するか、Category:LGBTの人物を存続させて(ただ、カテゴリーの頭に「近世世界における~」とでも入れておかないと、ちょっと辛いかと)、そこにまとめるか、でよいかと。--koon1600 2006年12月21日 (木) 13:07 (UTC)
- (コメント)ここまでの議論でわかるとおり、賛否両論ですし一定の指針が必要だと思われます。また、既存のプロジェクトなどでは扱い切れる問題ではないので、Wikipedia:ウィキプロジェクト LGBTを立ち上げて、そちらで議論を重ねて貰って、その上で再度削除議論を行う方がよろしいと思いますがいかがでしょうか。--ゞ( ̄ー ̄ )アロエ 2006年12月21日 (木) 18:00 (UTC)
- (全削除)基本的には依頼理由に同意。(過去にWikipedia:削除依頼/著名な同性愛者一覧もありました。)LGBTの活動家など、ある人を語る点で不可欠な要素だという人物もいますが、その人の記事空間内に載せれば十分でしょう。-Hhst 2006年12月21日 (木) 20:45 (UTC)
- (コメント)コメントを書きましたが、非常に長いので、Wikipedia‐ノート:削除依頼/LGBTの人物関連 Category に移します。参考にしてください。またノートでも意見があれば述べてください。--Maris stella 2006年12月21日 (木) 21:22 (UTC)
- (コメント)Maris stellaさんの仰りたいこと、すべきと考えていることは理解しますし、私としては賛同寄りではありますが、それでもなお、Maris stellaさんの意見は上でもゞ( ̄ー ̄ )アロエさんがコメントされているように少々煩いように見受けられます。これはMaris stellaさんにとっても不幸なことのように思われます。あらしごとはさておき、本案件については一旦、依頼を取り下げてはいかがでしょうか。恐らく依頼者であるMaris stellaさんにも、当該カテゴリのあるべき姿が見えていないのではないかとお察しします。--٢١٩.١٧٤.١٥٨.٢٢٥ 2006年12月21日 (木) 21:33 (UTC)
- (コメント)Wikipedia:ウィキプロジェクト LGBTを立ち上げました。性的少数者を対象としている内容でもありますから、一度専用の場で議論を重ねてから結論を出しても良いでしょう。Maris stellaさんが、Wikipedia:ウィキプロジェクト 性の立ち上げをされた方で、ご自分の方針を貫かれたいのはわかりますが、LGBTに関して言えば名前も出して議論することすら躊躇してしまうほど迫害されている少数者が対象となっている内容です。対象の方々の意見も聞き取り入れていかないと反発が起きるだけではすみません。専用の場を用意して議論することからされた方がよいですよ。--ゞ( ̄ー ̄ )アロエ 2006年12月21日 (木) 23:51 (UTC)
- (存続)Marris stellaさんの言い分には英語版と方針を異にすべき根拠が述べられていません。私の考えとしましては、もしカテゴリの削除を行うのならば英語版でも同様のことを行うべきでしょう。しかしそれは非現実的ではないでしょうか。--CatLover 2006年12月22日 (金) 05:17 (UTC)
- (コメント)各言語版でカテゴリの方針が異なるのは当たり前です。他言語版のカテゴリ構造を参考にするのは結構ですが、無批判に真似するのはいかがなものかと。CatLover氏のコメントを読んで、やはり「国別職業別カテゴリは削除」という最初の意見に戻すことに決めました。Maris Stella氏は国別職業別カテゴリのマイナス面を説明していますが、国別カテゴリを導入したCatLover氏はそれに十分答えていないように思えます。氏のコメントは僕にとって「英語版にあったから無批判にサブカテゴリを作成したのではないか」という憶測を確信に変えるものでしかありませんでした。LGBTの人物伝を集めたカテゴリは厳格な定義の下で利用するならば、LGBTの活動で功績がある人物の整理に有益であるという意見に変わりありませんが、国別職業別カテゴリにはデメリットを上回る必要性と利便性を見出せません。自主的に解消する話し合いも停滞しているようですから、国別職業別カテゴリは半ば強引に削除するしかないでしょう。--Klb 2006年12月27日 (水) 09:08 (UTC)
- (コメント)
一部削除を全存続に変更します。変更理由の一つ目はCategory:日本のLGBTの人物が20項目を超えたからなのだが、主たる理由はまさにLGBTとおぼしきユーザの方々から強い抵抗が主張されているからです。まあ、ウィキペディアは必ずしも政治的正しさを追求する必要はないのだが、当事者たちが不快感を露わにしている以上、後でシコリを残すようなことは避けたい。社会的弱者と言いますか少数者の意見はじっくり聞いて、学術的正しさとウィキペディアの方針を犯さないギリギリの妥協点を探るべきで、こういった少数者にまつわるナイーブな事柄は短期間の多数決で決めるべきではないと考えます。国別職業別サブカテゴリを削除すべきという意見には変わりないのだが、これもノートでの話し合いの進展に期待したい。--Klb 2006年12月22日 (金) 09:14 (UTC) - (削除)全削除。--経済準学士 2006年12月23日 (土) 16:28 (UTC)
- (コメント)議論になっているカテゴリが抱えている課題には、「人物の性向をもとにカテゴリを設定することの是非」という倫理的な側面と、「記事の整理」というテクニカルな側面とがあります。倫理的な側面についてはひとまずおいて、テクニカルな側面について、「Wikipedia:ウィキプロジェクト 人物伝」を立ち上げ、「Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 人物伝」において説明しています。ご意見よろしくお願いします。--猪山人 2006年12月24日 (日) 03:05 (UTC)
- (全て存続)放置しても依頼者の主張のように無限に増える可能性は皆無。ただ各人の主張によりその根拠を提示するなどのwikipediaのルールは当然に守る必要があると思いますが。 --ちとせ 2006年12月30日 (土) 09:11 (UTC)
- (人権活動家以外は削除)下手をすれば人権侵害となるCategoryであり削除すべき。ただ、人権活動家に関しては削除する理由は見つからず存続でよいかと。--219市115丁223番151号 2007年1月3日 (水) 05:37 (UTC)
- (コメント)人権侵害の意味がわからないのですが、その論点でいけばカテゴリの有無に関わらずウィキペディアが存在している時点で下手をすれば人権侵害となりますでしょう。そのようなカテゴリを認めない事の方が逆に性的少数者への差別だとおもわれます。--138.243.195.41 2007年1月12日 (金) 03:34 (UTC)
- (全存続)カテゴリの消去はLGBTの人々の自己表現を侵害する自由を奪うでしょう。もちろん際限ない増加は認めるべきではありませんが一定の秩序にしたがっているのでこの場合はよいでしょうね。--婆娑羅 2007年1月5日 (金) 17:44 (UTC)
- (職業別は削除)LGBTであることと政治家であることは関係が無く、「LGBTの政治家」という分類は意味を成さない。ところでプロジェクトは作成されたようですが、議論は行われていないのでしょうか。--Yas 2007年1月27日 (土) 10:38 (UTC)
- (LGBT人権活動家とLGBTの人物は存続、それ以外は削除)カテゴリ自体は問題は無いが、英語版ほど項目が充実していない以上、カテゴリの乱造と判断し、あまり積極的ではないものの、LGBT人権活動家とLGBTの人物以外は削除。--T.Saito(会話/履歴/ウィキメール) 2007年2月24日 (土) 00:46 (UTC)(修正--T.Saito(会話/履歴/ウィキメール) 2007年3月17日 (土) 08:25 (UTC))
- (LGBTの人物とLGBT人権活動家のみ存続、それ以外は削除)LGBTであると公言していない人をカテゴライズする事が問題であって、LGBTの分類が人権侵害というのはナンセンス。可能性を言うのであれば本文中に記載するのとなんらリスクは変わらない。よってLGBTの人物は存続。ただしサブカテゴリは「そもそもアメリカだとか日本だとか政治家とか分ける理由が見当たらない。国が違うとLGBTの何が変わるというのか」という考えから削除。LGBT人権活動家は「活動を行っている者」であって定義が異なるため存続。--秋月 智絵沙 2007年4月11日 (水) 09:37 (UTC)
- (コメント)ところで、別節か何かつくって投票時みたいに署名でぱっと見でカウントできるようにしませんか。今どれだけの意見が集まってるのかも、途中で表を変えたものとか、(少なくとも私は)把握しづらいです。--秋月 智絵沙 2007年4月11日 (水) 09:37 (UTC)