前期量子論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
前期量子論(ぜんきりょうしろん、Old quantum theory)は古典力学(統計力学)の時代から、ハイゼンベルク、シュレーディンガー等による本格的な量子力学の構築が始まるまで(1920年代中頃)の、過渡期に現れた量子効果(現象)に関しての一連の理論、及びその時期のこと。
前期量子論はプランクによる黒体放射(輻射)の理論により始まった。黒体からの放射は実験的にある波長に極大を持ち、その波長は黒体の温度の増加にともない短波長側にシフトすることが知られていた。この、一見単純な現象を古典力学(統計力学)の枠内で定式化したレイリーやジーンズの扱い(レイリー・ジーンズの法則)に従えば、黒体からの放射強度は短波長になるに従い強くなり波長0の極限では発散する。この理論と実験の矛盾を解消するために、プランクは黒体内の放射場のエネルギーが振動数に比例した特定の値を単位としてしか変化できないという量子化という概念を導入し、同時に振動数とエネルギーを結びつける定数(プランク定数)を導入した。この仮定に基づいてプランクが導出した式は黒体放射を再現した。
プランクに引き続き、アインシュタインが量子化の概念を光に拡張し、光電効果を説明する光量子仮説を提案した。光量子仮説に従えば振動数νの光は電磁波であると同時にhνというエネルギーを持つ粒子として振る舞う。この考え方は放射場のエネルギー変化を不連続としたプランクの概念を他の系に拡張するものであり、プランクの理論に味方するものであるにも拘わらずプランク自身は難色を示したという。その後、ボーアは角運動量を量子化することにより、原子スペクトルを説明する理論を提唱した。
前期量子論のほぼ最後を飾る仕事はド・ブロイによる物質波の提案である。ド・ブロイはアインシュタインの光量子仮説の逆の筋道を考え、物質にも波動が伴うとしてその波長等の性質を計算して示した。ド・ブロイの物質波の提案はアインシュタインにより認められ博士論文として世に出た。その後、物質波は金属表面の電子線の回折実験により実証された。この考えはその後に発表されたシュレーディンガーの波動力学に通じるものである。