量子力学
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量子力学(りょうしりきがく、独語:Quantenmechanik、英語:Quantum mechanics)は、電子、原子核などの間の微視的現象をも説明する物理学の理論である。プランク定数を 0 へと漸近させた極限は古典力学と等価になる。
量子力学を基にして、それを手段として用いる物理学分野全般のことを、量子物理学 (Quantum physics) と言う。これには物性物理学のほとんどの領域、素粒子物理学、核物理学など広範な分野が属する。
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[編集] 歴史
1900年にプランクは観測された黒体放射のエネルギーの周波数依存性の式を導出するため、エネルギーの量子化という概念を導入した。1905年にアインシュタインは光のエネルギーが光量子(光子)と呼ばれる量子に担われていると仮定して光電効果を説明した。
1913年にボーアは古典力学では理解できない水素原子の離散的なスペクトルなどを見事に説明する量子化を用いた理論(前期量子論)を世に出した。1924年にド・ブロイはド・ブロイ波(物質波)の理論を提唱した。
1925年量子力学の基礎はシュレーディンガーとハイゼンベルクらによってそれぞれ波動力学・行列力学という別の形式で与えられた。1926年に、シュレーディンガーはこれらの二つの力学が数学的に等価であることを証明した。
1927年にハイゼンベルクは不確定性関係を導き(不確定性原理)、ほぼ同時期にコペンハーゲン解釈が明確にされた。同時期にディラックはクリフォード代数を導入することにより、確率が負にならない相対論的量子力学を構成し(ディラック方程式参照)、またブラ-ケット記法を用いた演算子理論を最初に使った。1932年にフォン・ノイマンは演算子理論としての量子力学の厳密な数学的基礎を与えた(量子力学の数学的基礎)。
1950年代にファインマン、フリーマン・ダイソン、シュウィンガー、朝永振一郎らによって量子電磁力学が構築された。
量子色力学の歴史は長く、1960年代初頭から始まる。今日知られる様な理論はポリツァー、グロス、ウィルチェックらにより1975年に構築された。
また、シュウィンガー、ヒッグス、ゴールドストーンらと他大勢の先駆的研究に基づき、シェルドン・グラショウ・ワインバーグ・アブドゥス・サラムらは電磁気力と弱い力が単一の電弱力で表されることを独立に証明した(電弱理論)。
量子力学の成立によって物性物理学の発展に基づいた現代の工学の発展は可能になった。今日のIT社会ないし情報化社会と呼ばれる状況を成立させている電子工学も、半導体技術などが量子力学をその基盤としている。量子力学はまた化学反応の現代的な記述を可能にし、物理化学の分野が発展した。
[編集] 古典力学と量子力学の対応
古典力学は量子力学の近似理論であると言われる。その主な理由として、「量子力学においてプランク定数を 0 とみなせば古典力学に等価になること」 と「シュレーディンガー方程式の期待値を取ることで、運動方程式が得られること」、「古典力学における物理量を量子化することで 量子力学が得られること」などがあげられる。最後の項目(「古典力学における物理量を量子化することで量子力学が得られること」)については「量子化の項目」に委ねるとして、本記事では、「量子力学においてプランク定数を 0 とみなせば古典力学に等価になること」と「シュレーディンガー方程式の期待値を取ることで、運動方程式が得られること」の両者を説明し、「古典力学は量子力学の近似理論」であることを明確化する。
[編集] エーレンフェストの定理
ポテンシャルの空間微分(古典的には力に対応するもの)の空間的な変化がゆっくりで、波動関数の広がっている範囲で一定と近似できるならば、シュレーディンガー方程式の期待値を取ることで運動方程式が得られる。即ち位置の期待値と運動量の期待値が古典力学における運動方程式であるHamilton方程式を満たす。
[編集] ボーアの対応原理
ボーアの対応原理によって古典力学は量子力学の「プランク定数を0にする極限」として位置付けられている。
[編集] 量子力学の解釈問題
[編集] 量子力学と観測
量子力学では対象を状態の重ね合わせとして記述し、観測によって一つの状態がある確率で実現する。この枠組みは、それ以前までに育まれていた客観的実在を想定する決定論的記述を見直す契機になった。このため、量子力学の解釈問題が重要な課題となった。
ニールス・ボーアらの提示したコペンハーゲン解釈では、観測が行われると、状態を記述する波動関数は一つの状態に収縮しているとする。ここで、何時どのようにその状態が実現したのかについては説明を与えない。これに対し、アインシュタインらは、量子力学では記述されていないが実際にその状態を実現させた変数が存在するはずだ、と主張した(局所的な隠れた変数理論)。また、確定時期を特定することの困難が、シュレーディンガーの猫によって指摘された。
しかしながら、局所的な隠れた変数理論はベルの不等式によって、量子力学とは異なる結論を出すことが立証され、実験検証によって棄却された。量子力学と同じ結論を出す、非局所的な隠れた変数理論は存在する。ただし、この理論はクラスター分解性を持たないことが知られている。
その他さまざまな解釈がなされているが、量子力学は必ずしも素朴実在論や決定論の是非を決定付けるものではない。
[編集] 量子力学と意識
コペンハーゲン解釈はどのようにして観測によって波動関数が一つの状態に物理的に収縮するのかは説明しないが、波動関数の収縮を量子力学の数学的枠組みで説明することができないことがフォン・ノイマンによって指摘された。そこで、ノイマンは、収縮は観測という人間の行為と同時に起こる、として、量子力学の枠組みで説明できない意識を導入し、意識と相互作用する際に収束がおきるという主張をした。ウィグナーは人間の意識の特別な意義を重要視する姿勢を示した。他に、ロジャー・ペンローズも意識や心と量子力学を関連させて論じている[1]。 しかし、観測の過程において、何時、どのようにして収縮が起きたかについては、それを論じる理論もなければ、それを示す証拠もなく、今日でも完全な合意は形成されていない。収縮が起きる瞬間を明確に特定できない以上、人間が認知した瞬間に起きることだけを前提として観測による状態の変化に意識が介在するという考え方に踏み込む必要性は全くないと言える。
また、このような解釈の導き出す困難をユージン・ウィグナーは、ウィグナーの友人のパラドックスによっても示されている。これは、シュレーディンガーの猫の変形であり、毒ガス発生機をランプに置き換え、さらに、猫の代わりにウィグナーの友人を箱に入れる。猫の場合には、箱の外の人間が観測しない間は猫はマクロな状態の重ね合わせと考えねばならなかったが、猫でなく人間である場合には、箱の外の人間が観測する時点で観測が行われたとすべきか、箱の中の友人が既に観測を行っているとすべきか、決められない。ウィグナーの友人のパラドックスは、フォン・ノイマンの理論が観測という基本的な定義においてさえ不完全であることを示している。
波束の収束を、観測されるミクロな対象とマクロな観測装置の両方を含めて、物理的に説明しようとする試みも進められている。しかし、量子力学の成立以来続けられているこの試みは未だ成功していない。
[編集] 量子力学と論理学
古典力学ではものの状態は客観的に定まっていることが想定されている。従って例えば、在る、か、無い、かの、二値論理に従う。量子力学の枠組みにおいてはものの状態は客観的に定まっているものではなく、観測して初めて定まる。従ってものの状態は、在るか、無いか、どちらとも決まっていない(まだ観測していない)、かの、三つの状態に区分できる。この、状態を三値で記述する論理(三値論理)を採用することによって、ハンス・ライヘンバッハは量子力学の枠組みの論理的基礎付けを行った[2]。
[編集] 量子コンピュータ
アインシュタイン=ポドルスキー=ローゼンのパラドックスはEPR相関として認知されるようになり、ここで生じる離れた場所どうしの状態の絡み合いを量子もつれと呼ぶ。EPR相関は量子もつれを利用して離れた場所へ状態が送られる現象として理解でき、これを量子テレポーテーションと呼ぶ。
計算機の中の電子の状態は本来量子力学的に記述されるとすると、ゼロまたは1の2値(1ビット)ではなく、ゼロと1が重ねあわされた途中の値を持つ場合がある。この量子論的な状態を1量子ビット(qubit)と呼ぶ。複数のqubitに対してユニタリー変換を活用して演算を行うことにより、古典計算機では実現し得なかった並列処理が可能になる。現在情報通信分野で使われている暗号システムは、大きな桁数の因数分解が事実上不可能である事を前提として成立しているが、量子コンピュータが実現した場合この前提が崩れる事が1994年Shoaによって証明されている。また、関連する数学の分野では因数分解がNP完全問題かどうかが論点となっており、もし因数分解がNP完全問題である事が証明されれば、すべてのNP完全問題が量子コンピュータによって解かれる事になる。
[編集] 参考文献
- ^ ロジャー・ペンローズ, 『皇帝の新しい心』, みすず書房, 1994.
- ^ 1944. Philosophic foundations of quantum mechanics. University of California Press.
[編集] 関連項目
- 場の量子論
- 観測問題
- アインシュタイン=ポドルスキー=ローゼンのパラドックス(EPRパラドックス)
[編集] 外部リンク