劉暁波
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劉暁波 (りゅう ぎょうは、1955年12月29日 - )は中国の著名な知識人、著作家、独立中文筆会主席、人権活動家、民主運動リーダー、元北京師範大学文学部講師である。
- 1980年代半ば、劉暁波は時の文学評論家李沢厚に対する批判で中国文壇にその名を馳せ、中国文壇の“ダークホース”の異名を持つ。
- 1989年、中国で民主化運動が勃発、当時米国在留中の劉は即帰国を決め、運動に身を投じ、六四天安門事件直前、劉はほかの知識人3名(候徳健、高新、周舵)と共に、学生たちの断食抗議に参加する。中国軍が天安門広場に突入する寸前、4人は軍人の中でも知名度の高い候徳健(当時ポップ歌手として名高い)を推選し、学生たちに逃げ道を残すように軍と交渉し、最悪な事態を避ける。
- 事件後、劉は投獄され、釈放されてからも引き続き文章を発表し、六・四事件の殉難者の名誉回復と民主化を呼びかける。更に、劉は民間の人権を守る為の活動にも積極的に参加している。
- 中国当局による劉暁波に対する逮捕監禁は現在も行われ、未だに、外国要人訪中や、人民代表大会会期中は、自由を失うと同時に、電話とインターネットによる交信が遮断される。
[編集] 経歴
- 1955年12月29日 吉林省長春市生まれ。
- 1969年-1973年 両親と共に内モンゴル農村へ。
- 1974年7月 “知識青年”として吉林省農安県へ。
- 1976年11月 長春市にて建築作業員。
- 1977年-1982年 吉林大学文学部。1982年同校修士号獲得。
- 1982年 北京師範大学文学部修士課程入学、1984年同校文芸学修士号獲得。
- 1984年-1986年 北京師範大学文学部で教鞭を取る。
- 1986年-1988年 北京師範大学文学部博士課程を履修、1988年文芸学博士号取得。
- 1988年8月-11月 ノルウェーのオスロ大学の要請を受け、中国現代文学を教える。
- 1988年12月-1989年2月 米国ハワイ大学の要請を受け、中国哲学、中国現代政治と知識人のをテーマに研究と授業。
- 1989年3月-5月 客員研究者として米国コロンビア大学へ。期間中に帰国、六・四事件に参加。
- 1989年4月27日-6月4日 民主化運動に参加。
- 1989年6月6日-1991年1月 “反革命罪”で投獄される。
- 1989年9月 全ての公職を失う。
- 1991年1月-1995年 北京にて文筆活動、人権運動、民主運動に従事。
- 1995年5月18日-1996年1月 再び入獄、釈放後民主化運動、文筆活動を継続。
- 1996年10月8日-1999年10月7日 “労働教養”(中国特有の監禁刑罰)に処せられる。釈放後、北京の自宅でフリーライターとして、大量な時評や学術論文を発表する。
- 2003年11月 独立中文筆会第二任会長に当選。
- 2005年11月2日 引き続き独立中文筆会会長に当選留任。
[編集] 受賞歴
- 1990年、1996年、2回にわたって、米国「人権観察」より「ハルマン人権賞」を授与。
- 2003年中国民主教育基金会第17回「傑出民主人物賞」を獲得。
- 2004年12月21日、 「国境なき記者団」とフランス基金会より2004年度「言論の自由を守る賞」を受賞。
- 2004年第九回「人権ニュース優秀賞」を受賞、受賞作は月刊誌『開放』2004年1月号に発表された「マスコミの腐敗は最早ニュースではない」。
- 2005年第十回「人権ニュース優秀賞」を受賞、受賞作は月刊誌『開放』2004年9月号に発表された「権力者の天国、弱者の地獄」
[編集] 代表作
- 《选择の批判──李沢厚との対話》 上海人民出版社1987年出版
- 《審美と人間の自由》 北京師範大学出版社1988年出版
- 《形而上学の迷雾》 上海人民出版社1989年出版
- 《未来の自由な中国は民间にあり》
- 《裸のままで神に向かう》 時代文芸出版社1989年出版
- 《終末日の生存者の独り言》 台湾中国时报出版社1993年出版
- 《中国現代政治と中国知識人》 台北唐山出版社1990年出版
- 《劉晓波劉霞詩集》 香港夏菲尔国際出版公司2000年出版
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