加藤新平
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
加藤 新平(かとう しんぺい、1912年(明治45年)3月29日 - 1999年(平成11年)4月2日)は法学者。専門は法理学・法哲学。昭和58年から日本学士院会員。昭和46年から昭和50年まで日本法哲学会理事長。京都大学名誉教授。沢内村名誉村民第一号。子供はいない。
岩手県和賀郡沢内村生まれ。宮城県白石中学校(現宮城県白石高等学校)4年修了、第一高等学校を経て、昭和11年京都帝国大学卒業。
昭和11年京都帝国大学法学部助手就任。助手就任後補充兵として大日本帝国陸軍に召集され満州の部隊に所属するが、ノモンハンで襲撃を受け部隊はほぼ全滅する。加藤は参謀部に連絡派遣されており九死に一生を得た。昭和16年京都帝国大学助教授。昭和24年京都大学法学部教授、昭和44年同法学部長。昭和50年京都大を定年退官。後に大阪学院大学教授。