南北共同声明
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南北共同声明(なんぼくきょうどうせいめい)とは、1972年7月4日午前10時に、大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国が同時に発表した朝鮮半島の南北対話に関する宣言文章である。
韓国と北朝鮮は厳しい対立を続けており、対話の糸口すらつかめない状況が続いていたが、1970年代に入ってアメリカと中国の接近や、アメリカとソ連との間にデタントが進行するなど国際情勢の緊張が緩和されつつある中、1971年8月より韓国と北朝鮮の赤十字社の接触が開始された。
続いて1972年5月に韓国の李厚洛中央情報部長が平壌を極秘訪問し、金日成の実弟である金英柱朝鮮労働党組織部長ならびに金日成首相と会談し、続いて金英柱の代理として朴成哲第二副首相がソウルを極秘訪問し、李厚洛や朴正煕大統領と会談を行い、その結果、合意文章として南北共同声明が発表されることとなった。
声明には祖国統一は武力行使によらず平和的に南北間で自主的に行っていくこと、南北赤十字会談や南北調節委員会などの南北交流を進めていくことなど、七項目にわたる祖国統一原則が列挙されていた。しかし南北共同声明発表後の1972年10月、韓国の朴正煕政権は「祖国の平和統一のための体制強化」を名目として十月維新を開始、独裁体制を強化した。一方北朝鮮の金日成政権も1972年12月に新憲法を制定、金日成は国家主席に就任しやはり独裁体制を強化した。南北対話の開始は南北とも独裁体制の強化の材料として用いられ、肝心の南北対話は1976年に発生した板門店でのポプラ事件などの衝突や厳しい相互批判の中、1976年8月30日には南北直通通話が切断されてしまうなど、1970代後半にはいったんほぼ中断してしまった。
しかし南北対話はその後も、盧泰愚政権下での南北基本合意書が締結され、そして2000年6月の金大中大統領と金正日国防委員長との間で南北首脳会談が行われるなど、紆余曲折はありながらも現在まで続けられている。
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