板門店
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板門店 | |
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板門店での軍事境界線(北朝鮮側から) | |
各種表記 | |
ハングル: | 판문점 |
漢字: | 板門店 |
平仮名: (日本語読み仮名): |
はんもんてん |
片仮名: (現地語読み仮名): |
パンムンジョム |
ラテン文字転写: | Panmunjeom |
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板門店(パンムンジョム、はんもんてん)は、韓国と北朝鮮の間に位置する停戦のための軍事境界線上にある村の名前。ここで朝鮮戦争における北側の朝鮮人民軍と南側の「国連軍」の停戦条約が1953年に調印された。
「板門店」の名は、停戦条約調印の場所近くにあった「ノル門里」という名の店(タバコ屋、蕎麦屋、中国料理店、雑貨店などの説があるが、要は何でも売る田舎のよろず屋だったのだろう)を、「ノル」が板だという意味と知った中国軍兵士が「板門店」と書き表したことから定着してしまったという。
目次 |
[編集] 板門店とは何か
板門店は韓国・ソウルの北約80km、北朝鮮・平壌の南約215km、朝鮮戦争の停戦ラインである軍事境界線 (DMZ-DeMilitarized Zone) (「非武装区域」とも)上に存在し (北緯37度57分22秒東経126度40分37秒)、長くベルリンの壁と並んで冷戦の象徴であった。中立を宣言したスイス・スウェーデン・チェコスロバキア・ポーランドの4カ国によって中立国停戦監視委員会が置かれた。しかし、チェコスロバキアとポーランドはソビエト連邦によってワルシャワ条約機構に加盟したので、実際は中立組織は機能していなかった。冷戦終結と共にポーランドとチェコ(スロバキアと分離)はソ連圏から離脱し、中立組織が回復するかと思われたが、両国は1999年にNATOに加盟したため、再び有名無実になっている。
南北朝鮮の唯一の接点として、過去何度も会談を開いてきた。停戦条約に基づく軍事停戦委員会が設置され、停戦協定遵守の監視を行っている。また、緊急度を4段階(第一級~第四級)に分けた会議を開いている。本会議場は板門店の中心にあり、会議室の中心にテーブル、その中心にマイクがおかれ、引き回されたマイクケーブルも境界線を示すように配線されているものの、訪問者が会議室内で境界線を越えることは認められている。
中立国監視委員会は北朝鮮施設、軍事停戦委員会本会議場は韓国側の施設となっている。1992年に韓国側の「自由の家」と北朝鮮側の「板門閣」に南北連絡事務所が設置された。北朝鮮への支援物資も板門店を抜けていく。
板門店の周囲は南北の共同警備区域 (JSA-Joint Security Area) となっており、南北両軍が境界線を隔てて顔を合わせている。但し、原則として南北兵士は軍事境界線を越えてはならず、境界線を越えた者、相手兵士と会話を交わした者は極刑に処せられると定められているが、多少の会話は黙認されているらしく実際には軽い会話を交わしているという。この軽い話が出来る韓国兵士は憲兵であり、徴兵制度で兵務についた若者達である。韓国陸軍第1師団として軍紀の強い部隊でもある。
西側に沙川江(サチョン川)が流れ、そこに架かる橋は、朝鮮戦争後に捕虜交換が行われた。北から逃れた自由主義者、北の捕虜となった韓国軍兵士が韓国側に渡り、二度と戻ることが出来ない事から「帰らざる橋」と呼ばれている。「ポプラの木事件」(下記)の舞台となった場所もすぐ近くである。
[編集] 板門店の事件
[編集] ポプラ事件
国連管轄で形式的なものだった板門店内の境界線を前面に押し出すきっかけとなった事件である。1953年の停戦調印以来、板門店の中でのみ、南北兵士の行き来が可能であった。
1976年8月18日、第3哨舎近くのポプラの木が大きくなりすぎ、北を監視するための哨所を隠してしまうので、国連軍が枝の剪定作業をしていた。これを知った朝鮮人民軍が数度に渡り作業の中止を要求、国連軍が無視して作業を続行すると、朝鮮人民軍のグループが国連軍の作業チームに殴り込みをかけ、国連軍も反撃した。国連軍のアメリカ将校、ボニファス大尉とバレット中尉が斧や棍棒で殴殺され、国連兵と韓国兵がそれぞれ4人負傷した。8月21日、国連軍は北朝鮮に作業の続行を通告し、このポプラの木を切り倒した。
事件翌日の8月19日から北朝鮮と国連軍の間で会議が開かれた。アメリカ合衆国は事件を重く受け、空母を近海に派遣、韓国軍も臨戦態勢をとり、北進の準備を進めた。この過剰反応を恐れた金日成は遺憾の意を示し、アメリカに謝罪した。
9月6日まで行われた会議によって北朝鮮側の提案で共同警備区域内でも軍事境界線で両者の人員を隔離する事を決定した。
- 軍事境界線の標識として10mおきにコンクリート角柱(10cm四方・全高1m)の設置
- 停戦委員会会議場の建物間に高さ10cmのコンクリート境界を設置
- 9月16日までに南北双方の人員の立ち退き
これ以降、境界標を挟んで南北両軍兵士が向き合うこととなった。特別の許可を受けた者以外、このコンクリートの境界線を越えることは許されていない。
[編集] ソ連大学生亡命事件
1984年11月23日、板門店観光ツアーに訪れていたソ連人大学生が軍事境界線を越えて南に亡命しようとした。この大学生を追った朝鮮人民軍兵士が軍事境界線を越えたため、国連軍が攻撃し両者は衝突、韓国軍兵士1名と人民軍兵士3名が死亡した。
[編集] DMZの韓国軍
DMZの臨津江周辺は韓国の映画『JSA』でヒットし、韓国内外から強い関心が寄せられた。韓国の陸軍第1師団が担当しており、非常に軍規が強く、徴兵制度で配置される一般兵士達が行きたがらない場所でもある。
そこから東側、漣川(ヨンチョン)の方に行くと第6師団「かぎ部隊」が存在し、その東側に「白骨部隊」と言われる第3師団がある。この部隊は朝鮮戦争時、激戦地で初めて平壌に韓国旗を掲げた強力部隊として知られる。勤務地の冬は氷点下45度と過酷、孤立した部隊で、兵士たちが適応障害を起こし、軍事事故(自傷、他傷、自殺、殺人を言う)を起こす事でも有名。
更に東に進むと第15師団「満月部隊」、第7師団「七星部隊」、江原道の麟蹄(インジェ)まで行くと第1軍団がある(軍団は数個の師団を統括する上級部隊)。そして日本海側に出ると有名な統一展望台の「日出部隊」がある。
ちなみに、板門店周辺の警備に配属されるには、国連軍や北朝鮮軍兵士に見劣りしないように身長が175cm以上であること、国連軍兵士と対等に会話が出来る英語力を持っていることなどの条件があり、配属された兵士は相当なエリートであると言える。現に、理想の結婚相手としてこの部隊の兵士を挙げる女性も多く、除隊した後でも結婚などで困ることはないという。
[編集] DMZの北朝鮮軍
朝鮮人民軍は、共同警備区域(JSA)に勤務する韓国軍将兵を包摂、情報を入手し、除隊後にも接線工作を通して固定間諜として活用するため、板門店代表部政治部敵工課に2個の対南工作組を運営している。
各工作組は、組長(中佐)・副組長(少佐)・組員(尉官)等、5~7名で構成されており、組長は韓国軍将校と中士を、副組長は中士と兵長を、組員は士兵を各々接触対象にしている。
工作組は、韓国軍と接触する前に、「工作計画書」を作成し、予め工作対象を定めた後、主として夜間を利用して接触して、個別工作のみならず、集団工作活動も行っている。[要出典]
[編集] 板門店ツアー
板門店を訪れることができる(ただし南側からは北朝鮮国籍の者、ロシア、中華人民共和国籍などの者は参加不可。韓国籍の者は特別の手続きをすることによって可能。在日朝鮮人団体は北側から訪問している)。韓国から来る場合と北朝鮮から来る場合とでは、手順などが異なる。2005年、一年間の参加者数は南側が20000人強、北側が7000人という(南側ガイドの証言)。
[編集] 韓国から訪問する場合
- ソウル発の板門店観光の定期ツアーが、ほぼ毎日用意されている。旅行代理店への事前予約が必要。板門店訪問に際しては、旅券の持参義務や、撮影、行動、服装などの制限などがある。以前はジーンズは完全に禁止(北朝鮮が、アメリカの象徴である(と考えている)ジーンズ姿の観光客を「韓国はアメリカの手先」と宣伝に利用するおそれがあるため)だったが、日本人やアメリカ人などあまりにジーンズで来る観光客が多かったためか、現在では一部を除き許容されている。また、国連の施設ボニファス・キャンプにて、スライドでの説明と共に、緊急事態が起これば死亡、負傷する可能性があると書かれた誓約書への署名が必要。
[編集] ツアー申し込み先
[編集] 北朝鮮から訪問する場合
- 日本の旅行会社が企画・主催する朝鮮民主主義人民共和国パッケージツアーでは、板門店見学が組み込まれているものが多い。4日程度の短期間ツアーでは、「平壌と開城市(板門店を含む)」というパターンをよく見かける。また朝鮮国際旅行社などの現地旅行会社を通じて手配できる同国のツアー(手配旅行)においても、板門店見学を組み込む事は可能である(観光局モデルプランに掲載[1]されていた)。板門店訪問に際して、服装の制限も誓約書も一切ないが、当該区域に入る際は軍人が同行(同乗)し、同国側の立場から説明・案内を受ける。特徴的なのは停戦協定調印をした場所と併せての訪問となる。尚外国人の同国観光旅行では、現地の案内員が全行程随行し、旅券は入国直後から出国直前まで案内員に預けるシステムになっている。マスコミ記者や警察・自衛隊関係者は観光査証が下りないと言われる。
また在日本朝鮮留学生同盟(留学同)などいくつかの在日朝鮮人団体の「祖国訪問」において、板門店訪問が行われている。
[編集] 主な旅行会社
- 朝鮮の会社・組織(日本語)
- 日本の会社
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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