原野優
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
原野 優(はらの まさる;1963年5月31日~ )は1980年代から2000年代にかけての社会人野球選手(外野手、右投げ右打ち)、コーチである。
宮城県出身。仙台育英高3年の夏は甲子園に出場するも鹿児島実業に2-3で惜敗。高校卒業後は専売東北へ入社。パンチ力のある外野手としてルーキーイヤーから強烈にアピールを行った。ちなみに原野が専売東北入りした年(1982年)の同期には、後に阪神入りする古溝克之投手がいる。
入社6年目の1987年にはヨークベニマル(現在は廃部)の補強として都市対抗野球に初出場。また、翌1988年にはチーム名を「日本たばこ東北」を経て「日本たばこ」とした自チームの初出場に大きく貢献し、初出場ながらベスト8入りを果たした。
その後チームは「JT」と改称するが、原野は常に「4番・センター」を守り続けた。1年のみ、1993年にコーチ兼任選手を経験しているが、1994年以降は選手に専念。2000年夏頃(=37歳)まで「4番・センター」を守り続けた名物プレイヤーとして社会人野球ファンの間でも有名になる。
2003年オフ、本社が業務の見直しの一環として野球部の廃部を発表し、原野は2004年シーズン限りでの引退を決意。チームはその年限りで設けられた日本野球連盟理事会特別枠である東北第3代表に滑り込み、「最後の夏」を東京ドームで迎えることができた。原野は主に「3番・レフト」で1回戦からフル出場。チームも今までなかなか破ることのできなかった「8強の壁」を越え、最後の夏にベスト4(黄獅子旗獲得)という結果を残した。原野も準決勝までの4試合で15打数5安打5打点1本塁打と、41歳の選手とは思えない大暴れを見せ、大会優秀選手に選出された。
準決勝で王子製紙に敗れ、「最後の夏」を終えたJTナイン、特に原野に対してひときわ大きな拍手が送られたのは言うまでもない。
JT野球部にとって最後の大会となった日本選手権では、都市対抗で燃え尽きたのか、チームは東北2次予選で敗退、チーム25年の幕を閉じた。
原野はJT(専売東北、日本たばこ東北、日本たばこ)として都市対抗12回、日本選手権14回にすべて出場した、まさに「ミスターJT」と呼ぶにふさわしい選手であった。