合志栄一
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合志 栄一(ごうし えいいち)は、日本の昭和期・平成期における政治家である。熊本県出身。元山口県山口市長。山口大学卒業。
[編集] 経歴
- 1979年(昭和54年) - 山口県山口市議会議員選挙に生長の家政治連合公認(諸派)で立候補、当選。(1期目)
- 1983年(昭和58年) - 山口県山口市議会議員選挙に生長の家政治連合公認(諸派)で立候補、当選。(2期目)
- 1987年(昭和62年) - 山口県議会議員選挙に自民党公認で立候補、当選。(1期目)
- 1991年(平成3年) - 山口県議会議員選挙に自民党公認で立候補、当選。(2期目)
- 1995年(平成7年) - 山口県議会議員選挙に自民党公認で立候補、当選。(3期目)
- 1998年(平成10年) - 第18回参議院議員通常選挙(山口選挙区)に自民党公認で立候補、落選。
- 2002年(平成14年) - 山口県山口市長選挙に無所属で立候補、当選。(1期目)
- 2005年(平成17年) - 新設合併に伴う山口県山口市長選挙に無所属で立候補、落選。
- 2006年(平成18年) - 2007年4月の山口県議会議員選挙に無所属で立候補、当選。(通算4期目)
[編集] 活動
- 熊本県出身で山口市に地縁はなかったが、山口大学に進学したことで山口市に移り、生長の家の活動に携わったことが山口市議会議員選挙に立候補するきっかけになった。
- 参院選立候補は当初、自民党県連内の公認争いでは劣勢だったが、最有力だった橋本憲二県議が病気療養で公認申請を取り下げたことで橋本派が合志派に乗り移り、新進党から復党した吹田愰元自治大臣を抑えて自民党公認を得た。しかし選挙では無所属の松岡満寿男に大差で敗れた。
- 雌伏4年、当時山口市に建設中であった山口情報芸術センターの建設凍結・見直しを掲げて山口市長選挙に挑み、自民党推薦の前助役原昌克を僅差で破った。当選直後は少数与党で助役人事など議会運営に難航を極め、助役は県に要請して派遣してもらった山口県水産部長渡辺純忠を起用することで決着した。
- 周辺市町との合併協議では防府市の合併協議離脱を招き(防府市長松浦正人も元県議で、かつて高村系だった)、また選挙時の公約であった山口情報芸術センターの建設凍結・見直しも(市民委員会の議論を踏まえた上でとはいえ)結果的に当初の計画通り建設が進められたこともあって、行政手腕に疑問を抱かせた。
- 山口市・小郡町・秋穂町・阿知須町・徳地町の新設合併に伴う新・山口市の市長選挙に立候補し、かつて自らの助役だった渡辺純忠に敗れた。合志にはこのときも高村正彦が全面支援した。
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