松岡満寿男
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松岡 満寿男(松岡 滿壽男、まつおか ますお)は、昭和・平成期における政治家。元参議院議員(2期)。元衆議院議員(1期)。元山口県光市長。
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[編集] 概要
- 旧・満州国生まれ。戦後、山口県光市にて育つ。満寿男の名はジュネーブの国際連盟で誕生を聞いた大叔父の松岡洋右が「満州の満、ジュネーブの寿」と名づけたといわれる。
- 早稲田大学政治経済学部卒業。
- 早稲田大学を卒業後、八幡製鐵(現新日鐵住金ステンレス)に勤めていたが、1971年に父三雄が市長在職のまま急逝し、後任の光市長候補に担ぎ出され、36歳の若さで初当選。その後3回当選し、行政経験のない世襲の新米市長だったが多くの功績を残した。このときの市長秘書末岡泰義は松岡が国政に進んだ後も市役所を退職して地元秘書として仕え、その後光市長に当選し、現在4期目。
- 1983年の参院選山口選挙区に自由民主党公認で立候補、当選。在任中に労働省政務次官を務めた。しかし1989年の参院選では反消費税旋風の中で日本社会党公認山田健一に大敗。1992年の山口県知事選挙に無所属・社民連推薦で立候補し、5選を目指す自民党・公明党推薦の無所属現職の平井龍を相手に大激戦を挑んだが僅差で落選した。
- 1993年の衆院選旧山口2区から無所属・日本新党推薦で立候補、トップ当選。細川護煕代表の側近として党代表幹事で活躍したが、小選挙区制になった1996年の改選では山口2区で親戚筋の自民党佐藤信二に僅差で敗れた。
- 1998年の参院選山口選挙区に無所属で立候補、自民党公認合志栄一に大差をつけて当選した。無所属の会に長く属したが、任期満了間際に民主党に入党。任期満了とともに政界を引退した。このとき後継指名した民主党公認・元山口県副知事の大泉博子は、安倍晋三実弟の自民党公認岸信夫に惜敗した。安倍、岸とも松岡の遠縁に当たる。
[編集] 現在
- 現在は光市室積の自宅で暮らし、父三雄が創業した光市浅江の中国工業株式会社の社長の傍ら、趣味の陶芸や絵画、書道に打ち込んでいる。これらの趣味は市長在職中からのもので、今も個展を開いたり、グループ展に出展して一定の評価を得ている。
- 南満州鉄道の旧関係者の団体である財団法人満鉄会の理事長でもある。
- 自宅近くには松岡洋右の胸像、光市民ホール前庭には松岡三雄の胸像がある。
[編集] 略歴
[編集] 政歴
- 昭和46年(1971年)
- 山口県光市長選挙(無所属)当選。14,499票。
- 昭和50年(1975年)
- 山口県光市長選挙(無所属)2期目当選。18,230票。
- 昭和54年(1979年)
- 山口県光市長選挙(無所属)3期目当選。18,874票。
- 昭和58年(1983年)
- 7月12日 第13回参議院議員通常選挙(山口選挙区・自由民主党公認)当選。318,852票。
- 平成元年(1989年)
- 7月12日 第15回参議院議員通常選挙(山口選挙区・自民党公認)落選。320,410票。
- 平成4年(1992年)
- 平成5年(1993年)
- 7月18日 第40回衆議院議員総選挙(旧山口2区・無所属)当選。90,473票。
- 平成6年(1994年)
- 平成8年(1996年)
- 6月25日 第41回衆議院議員総選挙(山口2区・新進党公認)落選。78,944票。
- 平成10年(1998年)
- 7月12日 第18回参議院議員通常選挙(山口県選挙区・無所属)2期目当選。340,214票。
- 平成15年(2003年)
[編集] 家族・親族
[編集] 著書
「時艱直視」JPG 2004年
[編集] 関連項目
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