名誉の殺人
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名誉の殺人(めいよのさつじん)とは、女性の婚前・婚外交渉を女性本人のみならず「家族全員の名誉を汚す」ものと見なし、この行為を行った女性の父親や男兄弟が家族の名誉を守るために女性を殺害する風習のことである。
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[編集] 概要
殺害方法は決まっておらず、それぞれの家庭が行う家族会議で決定される。例として、絞殺や火炙りなどが存在する。
名誉の殺人においては、例えどのような理由があろうとも婚前・婚外交渉は許されないことだと考えられており、自分の娘を殺してもその地域においては家族の名誉を守った英雄として扱われるという。
主に中東を中心とするイスラーム文化圏において多発しているとされ、特にパキスタンで多い。これは、パキスタンの中央政府の力が弱く、地方においてはその土地の部族の力が伝統的に強いため、部族の慣習法が国の法律よりも上回る状態となっていて、中央政府による統制がほとんど効かないという半ば無政府状態にあるためである。また、中東圏出身の移民によって、ヨーロッパなどでも行われることがある。
無論、近代法治国家においては犯罪であり、イスラーム教が主流となっている国でも、法体系が整備されている国においては殺人であると規定されている場合がほとんどである。しかし、法体系が整備されていない国や、上記のパキスタンのように政情が不安定で警察の力が地方にまで及ばない国においては、未だに数多く行われている。
家庭内で行われる殺人であり、またこの風習が根強い地域では殺人自体がその地方においては「名誉」であるとされるため、家族ぐるみ、地域ぐるみで実行犯は庇われることになる。そのため、例え国が法を整備されていても、警察に届けられる事はほとんど無い。よって、その国の治安機関の能力が未熟な場合、発覚すること自体がまれになってしまい、現在報告されている事例も氷山の一角とされる。
殺害方法を決定する家族会議には母親・姉妹も積極的に加わる事も珍しくない。
[編集] イスラーム法における「名誉の殺人」
一般には、イスラーム教の教義において名誉の殺人が正当化されている、と誤解されているが、実際にはイスラム法によって禁止されている。これには、以下の二つの根拠がある。
- イスラーム教では婚外交渉は禁止されているが、それは男女を問わない。また、婚外交渉に対する刑は既婚者、未婚者によって違う。
- 刑の執行はカリフの権限、とされており、家族に殺害する権利は無い。家族による殺人は、禁止されている私刑とみなされる。
従って、「名誉の殺人」の風習は、イスラーム教普及以前の文化に起因するものと見られるが、この風習がある地方のイスラーム教徒自身も含め、イスラーム教の教義と関連付けられて考えられていることが多い。
[編集] 批判
近代思想では野蛮とされ、決して受け入れられることのないこの風習は、当然ながら多数のイスラーム国家を含む国際社会に於いて悪と捉えられ、批判されている。国連などの公的機関はもとより、アムネスティ・インターナショナルをはじめとする人権団体も非難声明を発表している。
また、あまり知られていないことだが、イラク前大統領の故サッダーム・フセインも名誉の殺人を批判していた。
[編集] 関連書籍
- 生きながら火に焼かれて(スアド著、松本百合子訳、ソニーマガジンズ出版) ISBN 4-7897-2875-7
- 著者の、名誉の殺人(義理の兄から火炙りにされた)から奇跡的に生き延び20回以上の手術を経験するという壮絶な体験を、自ら克明に記録したノンフィクション。ヨーロッパでは大反響を巻き起こし、それまであまり知られていなかった名誉の殺人の存在を広く知らしめた。フランスなどではベストセラーとなった。身の危険を防ぐために、著者の近況は明らかにされていないがヨーロッパで夫と子供と共に暮らしているという。