四心多久間四代見日流柔術
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四心多久間四代見日流柔術(ししんたくまよんだいけんにちりゅうじゅうじゅつ)とは富山藩に伝わる柔術流派。略して、四心多久間流柔術という。四心多久間見日四代流、四心多久間見日流とも。本来は柔術を中心に剣術、十手術、鎖術などを含んでいた。
この流派の伝承では伝教大師(最澄)を遠祖とし、四心は『唯識論』にある自性身、受用身、自受用身、変化身のこと、四代は、4代目から武家に伝わったことから、この流名となったと伝えられる。
ただし、この流派は至心流の系統の流派で、至心が同音の四心に転じたという説もある。
江戸時代には、富山藩の藩校廣徳館で指導された柔術流派のひとつであり、富山藩内に複数の系統が存在したが、現存する黒田鉄山(2005年現在、宗家)の系統では、元禄ころ、足立平陸正保(足立文五郎)が富山藩に伝えたとされる。