藩校
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藩校(はんこう)は、江戸時代、諸藩がおもに藩士の子弟のために設立した教育機関。藩学・藩学校・藩黌(こう)ともいう。
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[編集] 概要
内容や規模はさまざまだが、藩士の子弟はすべて強制的に入学させ、庶民の子弟は原則的に入学できない。広義には医学校・洋学校・皇学校(国学校)・郷学校・女学校など、藩が設立したあらゆる教育機関をふくむ。
藩校では「文武兼備」をかかげ、7~8歳で入学してまず文を習い、のち武芸をまなび、14~15歳から20歳くらいで卒業する。教育内容は四書五経の素読と習字を中心とし、江戸後期には蘭学や、武芸として剣・槍・柔・射・砲・馬術などがくわわった。
[編集] 沿革
江戸前期、武断政治から文治政治への移行とともに藩校が設立され、1641年(寛永18年)岡山藩池田光政が設立した花畠教場(はなばたけきょうじょう)が最初である。
しかし、全国的に藩校が設立されたのは宝暦期(1751年-1764年)以後、多くの藩が、藩政改革のための有能な人材を育成するために設立。講師として、優秀な学者の招聘も盛んに行われた。発展期には全国に255校、ほぼ全藩につくられた。藩校の隆盛は地方文化の振興にもつながった。代表的な藩校として、会津藩の日新館、米沢藩の興譲館、水戸藩の弘道館、長州藩の明倫館、佐賀藩の弘道館、熊本の藩校時習館、薩摩藩(鹿児島藩)の造士館などがある。なかでも、幕末には、佐賀藩、金沢藩、佐倉藩等の一部の藩校は、国漢学に止まらず、医学、化学、物理学、西洋兵学等の学寮を併設する事実上の総合大学にまで発展していたが、明治維新後は、学制改革のなかで廃校となるものも多く、生き残ったものも旧制中学校以下にとどまるものが大半であった。
[編集] 各地の藩校
- 岡山藩・花畠教場(1641年)→一部の流れとして現岡山県立岡山朝日高等学校および現岡山大学教育学部
- 会津藩・日新館(1664年)→現福島県立会津高等学校
- 大村藩・五教館(1670年)→現長崎県立大村高等学校
- 米沢藩・興譲館(1697年)→現山形県立米沢興譲館高等学校
- 長州藩・明倫館:萩(1719年)→現明倫小学校・山口県立萩高等学校
- 広島藩・講学所(1725年)→現修道中学校・高等学校
- 仙台藩・明倫養賢堂(1736年)→現東北大学医学部
- 吉田藩(三河国)・時習館 (三河吉田藩)(1752年)→名称を借り受けたものとして愛知県立時習館高等学校、この時習館高校の分校から、愛知県立豊橋南高等学校
- 熊本藩・藩校時習館(1755年)→流れは現熊本県立済々黌高等学校、熊本高等学校
- 熊本藩・再春館(1756年)→医薬系で熊本大学医学部の前身
- 松代藩・(1校目)文学館(1758年)
- (2校目)文武学校(1855年)→国指定史跡 旧文武学校
- 小倉藩・思永斎1758年→思永館→名称を借り受けたものとして北九州市立思永中学校、一部流れとして福岡県立小倉高等学校(本校は豊津高校)
- 小倉落城後豊津藩・香春思永館1867年→育徳館→現福岡県立豊津高等学校
- 新発田藩・道学堂(1772年)
- 薩摩藩・造士館(1773年)→(一旦廃校後再興)→現鹿児島県立甲南高等学校、名称を借り受けたものとして七高造士館→現鹿児島大学理・法文学部
- 伊勢崎藩・学習堂(1775年)
- 赤穂藩・博文館(1777年)
- 平戸藩・維新館(1779年)
- 須坂藩・(1校目)教倫舎(1781年)
- (2校目)立成館(1804年)
- 佐賀藩・弘道館(1781年)→(一旦廃校後再興)→現佐賀市立勧興小学校、佐賀県立佐賀西高等学校
- 尾張藩・明倫堂(1783年)→現愛知県立明和高等学校
- 久留米藩・学問所(1783年)→明善堂(1796年)→現福岡県立明善高等学校
- 福岡藩・修猷館(1784年)→現福岡県立修猷館高等学校
- 徳山藩・鳴鳳館(1785年)
- 備後福山藩・弘道館(1786年)→誠之館(1854年)→現広島県立福山誠之館高等学校
- 人吉藩・習教館(1786年)
- 金沢藩・明倫堂(1792年)→現金沢大学
- 富山藩・広徳館(1773年)
- 佐倉藩・学問所(1792年)→温故堂(1805年)→現千葉県立佐倉高等学校
- 対馬藩・東明館(1792年)
- 松本藩・崇教館(1793年)→重要文化財旧開智学校,一部流れとして長野県松本深志高等学校
- 島原藩・稽古館(1793年)
- 林田藩・敬業館(1794年)
- 飯田藩・読書場(1795年)
- 江戸幕府・昌平坂学問所(1797年)
- 彦根藩・稽古館(1799年7月)→弘道館(1830年)→滋賀県立彦根東高等学校
- 土浦藩・郁文館(1799年8月)→一部流れとして茨城県立土浦第一高等学校
- 小諸藩・明倫堂(1802年)
- 高島藩・稽古所→長善館(1803年)
- 庄内藩・致道館(1805年)
- 田原藩・成章館(1810年)→愛知県立成章高等学校
- 上田藩・明倫堂(1813年)
- 小田原藩・集成館(1822年)→現神奈川県立小田原高等学校
- 柳河藩・伝習館(1824年)→現福岡県立伝習館高等学校
- 関宿藩・教倫館(1824年)→名称を借り受けたものとして教倫館小学校→現野田市立関宿小学校
- 忍藩・進修館(1824年)→名称を借り受けたものとして埼玉県立進修館高等学校
- 伊予松山藩・明教館(1828年)→現愛媛県立松山東高等学校
- 飫肥藩・振徳堂(1831年)
- 佐賀藩・医学館(1834年)→好生館(1858年)→県立好生館病院→公立佐賀病院(甲種医学校資格を失う)→現佐賀県立病院好生館
- 田中藩・日知館(1837年)
- 水戸藩・弘道館(1841年)→一部流れとして茨城中学校・茨城高等学校
- 吉川藩・養老館(1847年)→現山口県立岩国高等学校
- 福井藩・明道館(1855年)→現福井県立藤島高等学校
- 土佐藩・文武館→敬止館→行余館(1855年)
- 飯山藩・長道館(1857年)
- 日出藩・致道館(1858年)
- 高遠藩・進徳館(1860年)
- 岩村田藩・達道館(1864年)
- 佐賀藩・致遠館(1867年)→名称を借り受けた佐賀県立致遠館中学校・高等学校
- 竜岡藩・尚友館(1868年)
- 苗木藩・日新館(1869年)
[編集] 関連項目
[編集] 関連書
- 大石学 編 『近世藩制・藩校大事典』 吉川弘文館 ISBN 4642014314