坂井弘一
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坂井 弘一(さかい ひろいち、1929年3月21日 - )は、昭和・平成期の政治家。衆議院議員を連続8期務めた。
[編集] 略歴
和歌山県日高郡南部町(現:みなべ町)出身。1948年摂南工業専門学校(現・大阪工業大学)電気工学科を卒業。
- 1963年和歌山市議選に公明政治連盟から立候補し当選。
- 1967年市議会から県議会へ転進した。
- 1969年12月衆院選の旧和歌山1区に公明党から出馬し当選(連続8回)
- 1980年6月衆参同日選で日本社会党と民社党の推薦で当選し選挙協力が成立した。
- 1985年正木良明政策審議会長の下で政策審議副会長に就任し、社会党との連合政権構想の公明党の責任者として辣腕を振るう。
- 1989年5月石田幸四郎委員長の下で、市川雄一国会対策委員長の後任として国対委員長に就任。
- 1990年11月国対委員長を神崎武法政審会長に譲り退任。
- 1993年7月衆院選に出馬せず政界引退へ。西博義に地盤を譲る。
- 1994年公明党の中央執行副委員長に就任。