堀田正時
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堀田正時(ほった まさとき、宝暦11年9月2日(1761年9月29日) - 文化8年4月4日(1811年5月25日))は、江戸時代後期の大名。下総佐倉藩主。堀田正亮の十一男。兄に堀田正順。子に堀田正睦、幸(本多忠考室)、多鶴(内田正容室)。養嗣子は兄正順の孫・堀田正愛。通称は徳次郎、大膳、梅湖。官位は従五位下、相模守。
文化2年(1805年)、先代藩主で兄の堀田正順が亡くなった時、兄の子の正功はまだ幼少だったため、代わりに家督を相続して佐倉藩主となる。文化8年(1811年)に51歳で死去し、家督は正功の長男・正愛が継いだ。法名は自性院恭阿法山謙良。
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