大宮SK
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大宮SK(おおみやえすけい) とは、2002年末、ジャニーズ事務所の人気グループ「嵐」のコンサートに突如現れた謎のユニット。
2002年12月の「新嵐 ATARASHI-ARASHI Tour」名古屋レインボーホールで初登場。
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[編集] 概要
メンバーは大S(大野智)と宮K(二宮和也)。昔のアイドル風ないでたちで奇抜な歌とダンスを披露。今年でデビュー38年目と言っていたが、後に45年目とも言ったため真相は分からない。
あまりのくだらなさに事務所の偉い人に怒られたらしく、2003年以降、しばらくその姿を見せなかったが、2005年夏のコンサートで復活。
ふたりの出会いはウズベキスタンらしい。某テレビ局の楽屋という話もあり。出会ったのは9年前。入所は2月。同期にはアツシ(10月入所)がいる。その所属箇所がどこなのかは不明。
活動拠点はマレーシアやインドネシアやメソポタミアやマルシアらしい。
[編集] 人物特徴
- 大Sタカ(大野智) 赤と金色のノースリーブに短パン、赤ラインのハイソックス。赤い鉢巻が目印
- 宮Kユウジ(二宮和也) 大Sと色違いで、青と銀色、青ラインのハイソックス。青い鉢巻が目印
- 2005年夏からは、二人でパイロット型のサングラスをかけている。
- ちなみにそのサングラスは2005年大阪のコンサート開演の30分前に購入。
- 初回の登場でいきなり宮Kのサングラスが破損し嘆いていた。
- タカアンドトシのネタをするという光景も。
[編集] 活動
- 2002年12月-2003年1月 「ARASHI STORM CONCERT 2002 新嵐 ATARASHI ARASHI」
デビュー曲「O.M.S.K.S」披露
- 2003年8月-9月 「USO!?ジャパン special summer ARASHI 2003 How's it going?」
相葉雅紀司会のカウントダウンコーナー「スキューンバズーカ」で大宮SKの曲「スキューン・バズーカ」が1位にランクイン。嵐のA・RA・SHIを抑えての1位獲得は、大宮SKによる相葉への賄賂が効いたと思われる。3位「O.M.S.K.S」はVTRのみ。1位「スキューン・バズーカ」を披露。同ツアーのオーラス公演では、MC中に松本・相葉・櫻井各ソロ曲への映り込み映像が公開された。
- 2003年12月-2004年1月 「WINTER CONCERT 2003-2004 ~LIVE IS HARD だから HAPPY~」
大宮SKによるマナーVTRを公演前に上映。ゲスト出演は櫻井翔(企画・脚本も)。大阪公演のMCでは、缶蹴り中に突如、姿を現したことも。
- 2005年7月-8月 「嵐 LIVE 2005 One SUMMER TOUR」
「はちゃめちゃテンガロン」披露。歌った後は、なにかしらの技を披露して去るという展開に。このとき披露された技に関しては、下記項目参照のこと。
- 2006年7月-8月 「嵐 SUMMER TOUR 2006 ARASHIC*ARACHIC*ARASICK*Cool&Soul」
「千年メドレー」披露。ツアー前半は、少年隊PLAY ZONE「MASK」での東山紀之ソロの「千年メドレー」のバックダンサー(黒人ふたり)のダンスを忠実に再現。しかし、観客の理解度が低かったため後半は、大野や二宮がJr.時代に踊っていたV6やKinKi Kidsの曲でメドレーを作成し、MADや大Sにドッキリを仕掛ける場となっていった。最終的には、スタッフに大宮SKがドッキリを仕掛けられる展開に。
- 2006年9月16日、台湾にて海外デビューを果たす。ちなみに、披露したのは「スキューンバズーカ」の北京語バージョン。
- 2007年1月3日-1月8日 「嵐凱旋記念公演 ARASHI ARAOUND ASIA」
「スキューンバズーカ」の北京語バージョンを披露。同時に新技「ダッシュドッキング」も披露され、オーラス公演にて初めて成功した。
[編集] 技
二人にしかできない技の数々をコンサートで披露している。
- 筋肉ホームラン
- 鋼のちくび
- 鋼の脛毛
- 鋼の腹筋
- ジーコ
- ジャンピングフラッシュ
- ローリングダウンボーイ
- サマースポット
- ファイナルラブ(R指定)
- 卵を溶く音
- うずらの卵を溶く音(大Sのみ)
- ダッシュドッキング
など
[編集] 作品
[編集] 曲
- O.M.S.K.S
- スキューンバズーカ (作詞:宮K)
- はちゃめちゃテンガロン (作詞/作曲:宮K)