二宮和也
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二宮 和也(にのみや かずなり、1983年6月17日 - )は、日本の歌手で、男性五人組のアイドル歌手のグループ・嵐のメンバーである。
身長168cm、体重49kg。B82cm、W68cm、H87cm。靴のサイズ25.5cm。(2005年7月時データ)
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[編集] 概要
- 1996年6月19日にジャニーズ事務所に入る。応募したのは従姉妹(いとこ)で、本人は6月に「オーディションに来てください」という連絡を聞いても面倒くさがって(その日は大好きな野球の試合があった為)行きたがらなかったのだが、母親に「5000円あげるから行って来い」と言われ参加。見事合格。現在に至る。
- 愛称はにの・にのちゃん・にのみぃ
- 資格:普通自動車免許、普通自動二輪免許。大型自動車免許。
[編集] 参加ユニット
[編集] 特徴
- 左利き。(字を書くときは右手→左から右になおした。ギターも右手弾き。お箸は左。歯磨きは両手を使って磨くらしい。)
- ジュニア時代に左手(手の甲、指の付け根あたり)を複雑骨折(先輩のコンサートでバックダンサーをしている際、バック転をしたらステージとステージの間にある小さな隙間に手がすっぽりと入ってしまい、そのまま身体だけが後ろへ行ってしまったため(本人談)、小さい骨が全部ばらばらになってしまい、強く握ることが出来ない。コンサートなどで2時間ずっと歌う時でも、感覚がなくなるため、マイクを持ちかえなければならず、左手は使い物にならないらしい。(まごまご嵐・ボート部にて本人談)
- ジュニア時代にバックでついていたコンサートで馬とびの馬をした際、自分よりも明らかに体格のいい人が上を飛んだことで、首を捻挫したことがある。
- 背中に入れた定規を折ったことがある程の酷い猫背で、矯正を強要されたこともあるが治らなかった(母親が猫背矯正ベルトを買ってきたが、結局使わなかったらしい)。しかし、後に演出家の蜷川幸雄から「背中に哀愁があっていい」と言われ、初めて自分の猫背を褒められたと喜んだ、というエピソードも。
- 運動能力が高く、野球やバック転・バック宙などのアクロバットををはじめスポーツ全般が得意。ただし持久力・筋力はあまりない。
- ジャニーズ運動会2002年度MVP、2003年度優秀選手賞受賞。
- メンバーの大野智と「大宮SK」を組んでいる。このユニット用の歌(「スキューンバズーカ」作詞のみ/「はちゃめちゃテンガロン」作詞作曲)も作っている。
- 演技派で、ここ数年ずっと17歳の役をやっていることから「永遠の17歳」と呼ばれている。
- 本人によると「台本は大抵、一度読んだら覚えてしまう」そうで、実際にもドラマや映画の収録現場で彼が台本を開いている姿をほとんど見たことがないと、多数の共演者や関係者が語っている。『嵐の宿題くん』(2006年11月7日)にて、鈴木紗理奈が自慢げにそう語っているのに対して「あぁ、俺もそう!」と何度も相槌を打っていた。
- 大昔、KinKi Kidsのシングル「Happy Happy Greeting」のコーラスに数人のJr.が選ばれ、参加していた。
- ファーストキスはJr時代に相葉雅紀と。どこまで顔を近づけられるか、というゲームをしていたところ後ろから人にぶつかられ唇があたってしまった、と過去に雑誌で語っていた。「どちらかというと、おぞましい系、お笑い系」(二宮談)「あれは事故」(相葉談)
- 極度の船酔いをする。『まごまご嵐』のボート部企画はもちろん、嵐としてのデビュー発表の時に乗ったクルーザーの上でも酔ったらしい。
- 「いざッNow」のコンサート中にリンパ肝炎で入院していたらしい。物が触れると痛いため、一人だけヘッドマイクセットだった。痛み止めの注射が痛くて辛かったらしい(本人談)→ライブDVDを観ると、右腕に注射もしくは点滴のあとだと思われるバンドエイドが二箇所貼ってある。
- 2004年の夏、ドラマ『南くんの恋人』、24時間メインパーソナリティー、コンサートとハードスケジュールをこなしていたため、体調は特に悪くなかったにもかかわらず「一応入院してくれ」と言われ、ドラマの撮影やコンサートの打ち合わせなどは病院から通っていた。
- メンバー曰く、手が猫の手みたいで可愛いらしい。
- 最近はメンバーの櫻井翔にハンバーグみたいな手と言われている。
- ジュニアの頃のコンサートで腹痛のためにトイレに行ったらアンコールが始まってしまい、トイレの中でアンコールを迎えたことがあるらしい。(本人談)
- 森光子に『拝啓、父上様』で、同じシーンに出演していないのに急に「10年前からファンであった」と言われたらしい。
[編集] 人物
- 嵐で唯一、ソロ写真集が出ている。(『二宮和也写真集 青の炎』)
- メンバーから「嵐の中でいちばん子供っぽい」と言われる一方で、「嵐でいちばん繊細なのはニノ。いつも難しいことばかり考えてる」(櫻井談)と評される一面も。
- 「初めて会った時からすぐにくっついてくる。そこが今でも変わらない」とメンバーの大野。大野にとって「ペットみたいでカワイイ」らしい。他のメンバーやファンからも「豆柴犬に似ている」と言われている。また同じ嵐のメンバーである相葉雅紀には、スヌーピーに似ていると言われた。
- ある雑誌で2005年度、2006年度「ひとりぼっちが好きそうなアイドル」No.1を受賞し、記者から「おめでとうございます、ぶっちぎりですよ!」と言われた。(本人談)
- 『HEY!HEY!HEY!』では「一番メンバーを裏切りそう」と評された。実際、原宿でカツアゲされていた相葉に対し、完璧に他人の振りをし通した、と面白おかしく語っていた。
- 「僕は完璧なけちです」「先輩には必ず奢ってもらう」「だから後輩とは出会いません」(本人談)。また、第一に財布を出したことがなく、先輩には奢ってもらうスタンスで飯にのぞみ、帰りのタクシー代までせびるときもある(松本談)。それを評してダウンタウン松本に「お前はホステスか!」と言われた。
- 極端な省エネ主義である。それもあって、無用な争いや出費はしない主義である。
- ヘビースモーカーである。
- 性格的にはどこか冷めた所があり、頭の回転も速いので、メンバー内では鋭い突っ込み役。
- 蜷川幸雄から「日本のリバー・フェニックス」と評され、俳優豊川悦司をして「『エデンの東』のジェームズ・ディーンとダブるところがある」と言わしめ、俳優椎名桔平を「二宮君はみずみずしさにあふれていて『太陽を盗んだ男』の沢田研二を彷彿させる」と感嘆せしめた逸話をもつ。
- 映画監督堤幸彦は『理由なき反抗』のパンフレットにて「現在日本の俳優の中で最も信頼のできる俳優さんと言えます」と絶賛。
- クリント・イーストウッド監督作『硫黄島からの手紙』(2006年12月9日、日本公開)(原題:LETTERS FROM IWO JIMA)にてジャニーズアイドルで初めてハリウッドデビューを果たす。2006年3月13日にアメリカロサンゼルスにてクランクイン。その演技は米ロサンゼルス・タイムズ紙などで絶賛された。
- アニメ映画『鉄コン筋クリート』で初の声優に挑戦、監督の意向でそれが50カ国に放映される事になった。思わぬ快挙に、当時の報道陣も「ハリウッドに続きアニメ声優としても世界制覇か」などと記している。ちなみに、原作は本人が10年くらい愛読している物で、本人曰く「漫画を読んで泣いた本はこれが初めて」らしい。
- メンバーの相葉と松本とはJr.時代からの長い付き合いである。
- とくに相葉とは入所当初から仲が良いとされる。Jr.時代には、ふたりでB.A.D.(Beautiful American Dreams)というユニットを組んでいた。また地味なふたりということから、Jr.内で「地味ーズジュニア」と呼ばれていたこともある。ファンからはふたりをまとめて「にのあいコンビ」と呼ばれている。
- 嵐結成の秘話として、ハワイへ行くことが決まった際に相葉がおらず「いつも一緒に居るのに、なんで相葉を呼んでないの!」と社長に怒られた経験がある。(本人談)
- ちなみに、嵐結成後、社長が二宮を見ながら「相葉!相葉!」と呼び、自分じゃないからと無視していたところ「なんで返事しないの!」と怒られ、「俺、二宮だもん」と答えると「あ、そう」と気まずそうにされたことがある。(本人談)
- 今現在は、「嵐が大好き」と至るところで憚ることなく口にするくらいの嵐マニア。
- 昔、お金がなかった頃、バニラやチョコレートなどの匂い付きティッシュを食べていた。(『まごまご嵐』での本人談)
- 2006年1月、ドラマ『少しは、恩返しができたかな』の役作りのため、【アイドルの命】とも言われる髪をスキンヘッドにした。
- メンバーは、スキンヘッド姿を初めて見た時、周りを囲んでカメラで撮影していたらしい。その様子は櫻井曰く「ちょっとした記者会見」だったそうだ。(櫻井ラジオ談)
- ドラマ中行われたメンバーロケの際は、自分で剃れない箇所(後頭部)をメンバーが剃って番組に出るという流れになっていたらしい(櫻井ラジオ談)
- テレビデビューは、MステのKinki Kids「フレンズ」のバック。
- 病気の役のオファーが多いため体を鍛えたことが無い。本人曰く「間違ったイメージを提供しないため」とのこと。(ラジオ談)
- 母親の若いころにとても似ているらしく、『Dの嵐』の打ち上げの時に、メンバー(櫻井・大野)に画像を送ったとのこと。
- 芸能界における交友関係は、非常に幅広い。そのジャンルは、俳優やミュージシャンなど多岐に渡っている。勝村政信、竹中直人、勝地涼、郭智博、小栗旬、高橋克実、加瀬亮、東幹久、ロードオブメジャーの北川賢一、大竹しのぶ、鈴木杏、蒼井優、水川あさみなどがいる。
- Jr.時代に渋谷すばるとホテルの部屋で真夜中に素っ裸でバック転をしてたと言う。(本人談)
- 2006年11月の韓国公演で韓国のファンに「11歳に見える」と言われた。(『ゲームニッキ』より)
- 二宮・相葉雅紀・横山裕・村上信五の4人ででかける事が多く、泊まる時には自分のうちは4人も泊まれないという理由で村上は預かり、横山はいつも相葉に任せていたらしい。
- 「嵐がいれば友達はいらない」と言うほど嵐のメンバーを信頼している。
- メンバーの中でも、とにかくリーダー大野と仲がよく2人スキンシップのとりかたが異常なぐらいで気持ち悪いらしい(松本談)
- 実家は車のワイパーの先の方の型を作っている工場らしい(本人談)
- 「硫黄島からの手紙」のオーデションを受けるまでクリント・イーストウッドの存在を知らなかったらしい(本人談)
- 「硫黄島からの手紙」では元々西郷の役のオーディションを受けたのでは無く清水役のオーディションを受けていたのに西郷役に選ばれてしまい、台本をロスに行くまでスタッフから「渡せない」と言われ最初はドッキリだと思い込んでいた(本人談)
- ハリセンボンの二人ともが二宮が好きなタイプらしく大好きらしい。
- リーダー大野の尻を触るらしい(大野談)。
[編集] 趣味・趣向
- 好きな食べ物は「安いもの」。最も知られている好物はもんじゃ焼き、お好み焼きなどの粉モノ。またハンバーグ、ミルクパン、クリームソーダも好き。
- 嫌いな食べ物は「高いもの」。メンバーと焼肉を食べに行き、特上カルビを食べた際、帰宅後、嘔吐してしまったらしい。そのため「俺には高級すぎる」と感じ、それ以来、特上カルビ等の高いものが食べられなくなってしまった。また、嫌いな食材はしいたけ、八宝菜、牛乳、生クリームなど。貝類も苦手で食べると必ず中る。
- 女の子に作ってもらえて嬉しい料理は餃子だとか。(『まごまご嵐』:本人談)
- 基本的に味覚がお子様。
- 「作詞・作曲(宅録)」「野球」「物語を書く」「フィギュア(スマーフ等)収集」が趣味。特に作曲に至っては、プロが使うような機械を子供のころから使いこなすほど本格的である。
- 弾ける楽器はギター、ベース、ピアノ、ドラム、ブルースハープなど多岐に渡る。
- ゲームが大好きで常にゲーム機を持ち歩いている。2004年の夏のコンサートに太鼓の達人を持ってきたことをメンバーに暴露された。松本いわく「マジうるせぇ」らしい。
- 2006年に発売されたゲームのハード3機種はすべて発売後すぐに購入。「これのおかげで家から出ないから、この先3~4年は友達が出来ない」と言っている。
- 小学生の頃、ファミコンのソフトを作ったことがあるとか。また、合わせてアキバ系男女2名に共通していた生徒会役員・部長なども経験していることから自らのことを「正直アキバ系だった」と言っている。(Dの嵐「アキバ系の法則」より)
- よく秋葉原に買い物に行ったりしてるらしい。「渋谷に行っても誰も気付かないけど、秋葉原に行くと着いた途端に気付かれて声を掛けられる(しかもそれは主に男)」とは本人の談。
- 工業高校に進学しようと考えた事もあったらしい。
- 着る物にもこだわらないらしい。逆に、一度気に入った物は、ずっと着ている為、無頓着だとメンバーたちに思われている。本人曰く、「舞台以外は自分の好きなもの着ていたい。物の価値は値段ではなくどれだけ惚れ込んだか」とのこと。本人のマニア度もうかがわせる発言である。
- 携帯の待ち受け写真を「大野智の幼い頃の写真」「相葉雅紀がシンクで入浴している写真」にしていたことがある。
[編集] 愛称
- 基本的にファンやメンバーからは「ニノ」。他に「にのみぃ」「にのたん」「にのちゃん」「にのみやん」など。
- プライベートやそれに近い状態では、メンバーからは「かず」と呼ばれている。(コンサートのMCや相葉/松本のラジオ・How's~のDVDにて櫻井などが呼んでいるのが確認される。)
- Webのゲームニッキには自身のファンのことを「にのみまにあ」と呼んでいる。ひらがなで書くのがポイントらしい 。
- 家では「カズ」と呼ばれ、「カズナリ」とはあまり呼ばれたことがないとの本人談。昔はじめてドラマに出た頃からの知り合いのスタッフなどは「カズナリ」と呼ぶようだ。その中には「カズヤ」と間違えたまま呼び続ける人もいるが、もう諦めて訂正もしないらしい。
- 2006年夏のコンサートからは、メンバーに「ニノちゃん」と呼ばれている。
- 2006年9月の台湾公演終了後、現地の新聞に「爆笑王」と紹介された。(本人談)
- 『まごまご嵐』で相葉雅紀と「カズくん」「まーくん」と呼び合っていた
- 2006年のアジアツアーコンサート中、嵐全員の外見年齢をファンに言ってもらったところ、11歳と言われた。よく考えると平成生まれの小学五年生な事に気付き、大きな衝撃を受けたらしい。(ゲームニッキより)
[編集] ペット
- ペット:柴犬のハルと、フレンチブルドッグのブー(ただし、姉が飼っているためなついてはいない。月1ペースで会う)、亀(松本の17歳の誕生日に贈った5匹のうち、1匹だけを二宮の21歳の誕生日に貰い受けた)。
[編集] 作詞・作曲
二宮自身が作詞作曲、もしくは作詞or作曲を手がけた曲(年代順)
- カセットテープ
- 僕が幸せでいれる場所
- 生涯何があっても愛する人へ
- リグレス・オブ・プログレス(KinKi Kidsの堂本剛との共作曲)
- スキューンバズーカ 他(大宮SKへ楽曲提供)
- 松本クンの唄(同メンバー松本20歳の誕生日を祝う際制作)
- もういない…ない(詞はラジオにて公募)
- 痕跡(「かこ」と読む。コンサート、ラジオで本人談)
- スケッチ(櫻井翔との共作)
- はちゃめちゃテンガロン(大宮SKへ楽曲提供)
- ファイトソング(作曲。作詞は嵐)
- 楽園(ラジオにて公開。ファイトソングのデモ曲。)
[編集] 出演
[編集] テレビドラマ
- 天城越え(1998年1月1日放映、TBS系) - 西浦多吉 役(少年時代)
- 二十六夜参り(1998年8月17日放映、TBS系) - 沖田明雅伍長 役(回想シーン)
- あきまへんで!(1998年10月 - 12月、TBS系) - 青木大樹 役
- 熱血恋愛道・第1話 射手座のO型BOY(1999年1月10日放映、日本テレビ系) - 近藤トシヤ 役
- あぶない放課後(1999年4月 - 6月、テレビ朝日系) - 夏木勝幸 役(初主演)
- 怖い日曜日・第8話 ここだったか(1999年9月5日放映、日本テレビ系)
- Vの嵐(1999年10月11日 - 29日、フジテレビ系) - 二宮和也 役
- 涙をふいて(2000年10月 - 12月フジテレビ系) - 淵上健太 役
- ハンドク!!!(2001年10月 - 12月、TBS系) - 坂口ノブ 役
- 熱烈的中華飯店(2003年1月 - 3月フジテレビ系) - 名波健太 役
- Stand Up!!(2003年7月 - 9月、TBS系) - 浅井正平 役
- 南くんの恋人(2004年7月 - 9月テレビ朝日系) - 南進 役
- 優しい時間(2005年1月 - 3月、フジテレビ系) - 湧井拓郎 役
- 少しは、恩返しができたかな(2006年3月22日、TBS系) - 北原和憲 役
- 拝啓、父上様(2007年1月11日 - 3月、フジテレビ系) - 田原一平 役(ナレーションも担当)
[編集] バラエティ
- ガキバラ帝国2000!(2000年4月15日 - 12月16日)
- ガキバラ!(2001年1月15日 - 3月10日)
- USO!ジャパン(2001年4月14日 - 2003年9月13日)
- 真夜中の嵐(2001年3月25日 - 2002年6月26日)
- 嵐のなりきりバラエティー犬のキモチになってみましたワン!(2002年1月4日)
- Cの嵐!(2002年7月3日 - 2003年6月25日)
- 嵐の犬のキモチになってみましたワンワン!(2002年7月21日)
- なまあらし(2002年10月5日 - 2004年3月27日)
- Dの嵐!(2003年7月2日 - 2005年9月28日)
- 探検!ホムンクルス~脳と体のミステリー~(2003年10月11日 - 2004年9月18日)
- オーストラリア大陸縦断!激闘3000キロ ウルトラストロングゲーム(2005年3月30日)
- バニラ気分!(2005年4月9日 - )
- Gの嵐!(2005年10月5日 - )
- 嵐の宿題くん(2006年10月2日 - )
[編集] 映画
- ピカ☆ンチ LIFE IS HARDだけどHAPPY(2002年、堤幸彦監督) - 恩田琢磨 役
- 青の炎(2003年、蜷川幸雄監督、貴志祐介原作) - 櫛森秀一 役
- ピカ☆☆ンチ LIFE IS HARDだからHAPPY(2004年、堤幸彦監督) - 恩田琢磨 役
- 硫黄島からの手紙 Letters from Iwo Jima(2006年、クリント・イーストウッド監督) 西郷 役
- 鉄コン筋クリート(2006年、松本大洋 原作) - クロ 役(声優)
- 黄色い涙(2007年春公開予定、犬童一心 監督) - 村岡栄介 役
[編集] 舞台
- Stand by Me(1997年) - クリス 役
- 大阪シアタードラマシティ:1997年7月26日 - 27日、東京アートスフィア:1997年8月8日 - 21日
- ジャニーズファンタジー KYO TO KYO オールジャニーズJr.公演(1997年)
- 京都シアター1200:1997年8月29日、9月7日、10月26日
- シブヤから遠く離れて(2004年、岩松了作、蜷川幸雄演出) - ナオヤ 役
- 理由なき反抗(2005年、堤幸彦 演出) - ジム 役
- 東京グローブ座:2005年4月3日 - 24日、大阪シアタードラマシティ:2005年5月1日 - 4日
[編集] レギュラーラジオ
- ジャニーズJr.ちゃぱら★FIGHT ジャニーズJr.の月曜日 (1997年4月14日 - 1999年5月10日、文化放送)
- 真夜中の少年たち (1997年7月10日 - 1999年9月、ABCラジオ)
- ジャニーズJr.DOKIDOKIアフタースクール (1998年4月 - 1999年9月、ニッポン放送)
- 嵐の金曜日 (1999年11月、ニッポン放送)
- 嵐音 (2000年4月3日- 2002年9月26日、TOKYO FM)
- 嵐の@llnightnippon.com (2001年8月10日、ニッポン放送)
- BAY STORM (2002年10月4日 - 、ベイエフエム)
[編集] テレビCM(個人)
[編集] テレビCM(嵐)
- ハウス食品 オーザック(2005年 - )
- ニベア花王 8×4(「春風スニーカー」使用)(2006年3月 - )
- ハウスウェルネスフーズ C1000(「きっと大丈夫」使用)(2006年3月 - )
- ニベア花王 8×4(「Kissからはじめよう」使用)(2006年6月 - )
- ハウスウェルネスフーズ C1000(「Di-Li-Li」使用)(2007年3月12日 - )
[編集] 関連書籍
- 二宮和也写真集 青の炎(角川書店)
- 「青の炎」シナリオブック―メイキングPHOTO付(角川書店) - 蜷川幸雄、宮脇卓也(著)
- In a rush!―嵐1st写真集(Magazine House mook)
- 嵐04150515―嵐のピカ☆ンチな日々(M.Co)
- ピカ☆ンチ―LIFE IS HARDだけどHAPPY(竹書房) - 河原雅彦(著)
- ピカ☆☆ンチA to Z―嵐のピカンチダブルな日々(M.Co)
- ピカ☆☆ンチ LIFE IS HARDだからHAPPY シナリオブック(M.Co.)
- シブヤから遠く離れて(ポット出版) - 岩松了(著)
- アラシゴト(集英社) - 嵐(著)
- ARASHI AROUND ASIA(角川書店)
[編集] 関連項目
メンバー | |
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大野智 - 櫻井翔 - 相葉雅紀 - 二宮和也 - 松本潤 | |
ディスコグラフィー | |
シングル: A・RA・SHI - SUNRISE日本/HORIZON - 台風ジェネレーション-Typhoon Generation - - 感謝カンゲキ雨嵐 - 君のために僕がいる - 時代 - a Day in Our Life - ナイスな心意気 - PIKA☆NCHI - とまどいながら - ハダシの未来/言葉より大切なもの - PIKA★★NCHI DOUBLE - 瞳の中のGalaxy/Hero - サクラ咲ケ - WISH - きっと大丈夫 - アオゾラペダル - Love so sweet アルバム: ARASHI No.1 ~嵐は嵐を呼ぶ~ - HERE WE GO! - How's it going? - いざッ、Now - One - ARASHIC ベストアルバム: 嵐 Single Collection 1999-2001 - 5×5 THE BEST SELECTION OF 2002←2004 |