大村憲司
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大村 憲司(おおむら けんじ、1949年5月5日 - 1998年11月18日)は、日本のギタリスト、作曲家、アレンジャー。
[編集] 略歴
兵庫県神戸市出身。甲南高等学校を卒業後、1970年にアメリカに渡り、フィルモア・ウェストのステージに立つ。1971年帰国、赤い鳥に参加。1973年に赤い鳥を脱退し「エントランス」を結成。1976年、「カミーノ」結成。1980年、YMOのサポートギタリストとして国内およびワールドツアーに参加。晩年は柳ジョージのツアーに参加。またその卓越したギターテクニックや知識により『ギターマガジン』のエレクトリックギターのレビューを担当。ギターを知り抜いた男として試弾きしインタビュー形式で適切な評価を与えた。
1998年11月18日、肝臓病(アルコール性肝炎)で死去。 享年49。
[編集] エピソード
- 1998年12月、渋谷Bunkamuraオーチャードホールにて大貫妙子の「PURE ACOUSTIC CHRISTMAS」コンサートに参加予定であったが、死去により延期。 大貫妙子は大村の死にショックを隠せなかったと後の振り替え公演・ステージ上で語った。
[編集] ディスコグラフィ
- 『ファーストステップ』
- 『KENJI-SHOCK』
- 『春がいっぱい』
- 『外人天国』
- 『Left-Handed Woman』
- 『Leaving Home』