大江匡衡
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大江匡衡(おおえのまさひら、天暦6年(952年) ~ 寛弘9年7月16日(1012年8月6日))は、平安時代中期の儒者・歌人。大江維時(おおえのこれとき)の孫で、大江重光の子。大江匡房の曽祖父。妻は女流歌人で中古三十六歌仙・女房三十六歌仙の一人赤染衛門(あかぞめえもん)。匡衡も中古三十六歌仙の一人。
東宮学士や文章博士を経て、正四位下式部大輔に至る。藤原道長・藤原行成・藤原公任などと交流があり、時折彼らの文章を代作し、名儒と称された。また地方官としても善政の誉れ高く、尾張守としての在任中は学校院を設立し、地域の教育の向上に努めた。公卿としての地位を望んだが果たせずに終わった。
漢詩文に『江吏部(こうりほう)集』、私家集に『匡衡朝臣集』がある。
[編集] 伝記
- 後藤昭雄『大江匡衡』(吉川弘文館人物叢書、2006年) ISBN 4642052356