大潮清治郎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大潮清治郎(おおしお せいじろう、1900年8月11日 - 1979年3月29日)は、昭和初期の大相撲力士である。福岡県大川市出身。
陸奥部屋に入門、1919年1月場所に初土俵をふむ。入門も遅かったこともあって、昇進もゆっくりで、新十両が1928年3月、新入幕は1932年1月場所で、すでに30歳を超えていた。その新入幕の場所に春秋園事件が起こり、多くの力士が脱退したが、彼は残留し、その結果いきなり幕内上位に進出することになった。そこでもよく健闘し、5月には小結に昇進した。その後、関脇に達し、右四つからの寄り相撲で長く上位で活躍し、1941年5月限りで現役を退いたが、その時は40歳を過ぎていた。
現役中の1937年から二枚鑑札で年寄陸奥を襲名し、陸奥部屋を率いて、若潮芳雄を幕内に育てた。現役最後の場所は、若潮の新入幕の場所でもあり、師弟そろっての幕内土俵入りという偉業をなしとげた。引退後は1960年に部屋を閉じて、同系統で対戦のなかった錦島部屋に移籍、錦島部屋の消滅後は時津風部屋にうつり、停年退職を迎えた。
[編集] 主な成績
- 幕内成績 97勝134敗35休
- 幕内在位 23場所(うち関脇1場所、小結4場所)
- 金星 3個(玉錦・武蔵山・男女ノ川から各1)
![]() |
この「大潮清治郎」は、相撲に関連した書きかけ項目です。 記事を加筆・訂正してくださる協力者を求めています。(スポーツポータル/相撲プロジェクト) |
カテゴリ: 福岡県出身の大相撲力士 | 1900年生 | 1979年没 | 相撲に関するスタブ