大里市
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台湾省台中県大里市 | |
地理 | |
位置 | 東経120°40" 北緯24°06" |
面積 | 28.8758km² |
人口 | |
戸口(2006年7月) | 56,294戸 |
人口(2006年7月) | 188,409人 |
政治 | |
行政区分 | 県轄市 |
市長 | 林仲毅 |
地方自治期間 | 大里市民代表會 |
下部行政区画 | 27里734鄰 |
その他 | |
郵便番号 | 412 |
市外局番 | 04 |
市花 | - |
市鳥 | - |
市木 | - |
別称 | 大里杙 |
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大里市(だいりし、Dàlĭ、ダーリー、慣用読み:おおさと)は、台湾台中県に位置する県轄市である。
目次 |
[編集] 地理
[編集] 歴史
大里の旧名は「大里杙」である。漢人入植以前は洪雅平埔族の活動地域であった。雍正乾隆年間に、原住民は清朝に帰順し、その後大量の移民が大陸より流入、大肚渓、大里渓沿いに上流方向に開発が進んだ。大里は交通の便がよかったことから早い時期に開発が進み、台中盆地で最も経済的繁栄を見た地域である。
大里杙が開発されて間もない頃は原住民による入植者に対する攻撃が相次ぎ、入植者は「塗城」を設置、土塁を以って先住民からの攻撃に備えたことから「番仔寮」、「塗城」などの地名が発生している。当初の入植者は褔建漳州出身者の林姓が最も多い。清に対し反乱を起こした林爽文もその仲の一人であり、郷民の不満の高まりを見て「天地会」を組織、結局は失敗に終わったが反清活動を展開している。その事件後林爽文一家は霧峰に移り、今日著名な霧峰林家花園となったが、その源流は大里に発している。
「大里」の地名の由来は、元来原住民語の音訳である。「杙」は「筏」を表している。大里渓は急流であり、彰化県鹿港鎮及び南投県北投庄郷からは交通は全て筏による水運に依拠していたことから命名された。当時漢人は小船を利用しての交易を行っており、次第に川辺に襲来区が形成されるようになり、これが「渡船頭」と称されるようになった。現在の「旧街仔」に比定されている。
「一府、二鹿、三艋舺、四竹塹、五諸羅、六大里杙」との言葉が示す通り、台湾を代表する「大里杙」であるが、日本統治時代になると「杙」の文字が脱落し「大里」と称されるようになり、現在に至っている。
[編集] 経済
[編集] 行政区
[編集] 歴代市長
代 | 氏名 | 任期 |
---|---|---|
(zh:簡 | 肇棟) | 2000-2005 |
(zh:林 | 仲毅) | 2005- |
[編集] 教育
区分 | 数 | 名称 |
---|---|---|
大学 | 1 | 修平技術学院 |
高中 | 6 | 国立大里高級中学 台中県立大里高級中学 私立大明高級中学 私立僑泰高級中学 私立青年高級中学 私立立人高級中学 |
高職 | 0 | - |
国中 | 2 | (縣立光榮國中) (zh:縣立爽文國中) |
国小 | 3 | -(zh:縣立大元国小) (zh:縣立益民国小) (zh:縣立永隆国小) |
[編集] 交通
種別 | 路線名称 | その他 |
---|---|---|
高速道路 | フォルモサ高速道路 | 中投公路JCT |
省道 | 台3線 | |
省道 | 台61線 | 中投快速公路 |