后里郷
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台湾省台中県后里郷 | |
地理 | |
位置 | 東経120°42" 北緯24°18" |
面積 | 58.9439km² |
人口 | |
戸口(2006年7月) | 14,000戸 |
人口(2006年7月) | 54,699人 |
政治 | |
行政区分 | 郷 |
郷長 | 陳義貞 |
地方自治機関 | 后里郷民代表会 |
下部行政区画 | 18村264鄰 |
その他 | |
郵便番号 | 421 |
市外局番 | 04 |
郷花 | - |
郷鳥 | - |
郷木 | - |
別称 | 内埔 |
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后里郷(こうりきょう、hòulĭ、ホウリー)は、台湾台中県に位置する鎮である。
目次 |
[編集] 地理
后里郷は台中県の北に位置し、北は大安渓を隔てて苗栗県と、南は大甲渓を隔てて神岡郷及び豊原市と、西は月眉山に連なり外埔郷と、東は埤頭山を隔てて東勢鎮と接している。郷総面積の80%は台地であり、残り20%は丘陵地帯となっている。地形は東北部が海抜300mと高くなっており、南西に向かって下り傾斜となり最低地点は海抜120mである。
[編集] 歴史
后里郷は台中県北部に位置し、古称を「内埔と称した。元来は拍宰海族(Pazeh)岸裡旧社の居住地であった。后里の地名の由来は初期に入植した漢人集落が原住民の麻薯旧社の背後に位置したことから「后里」と命名されたとされている。清初には后里地区は諸羅県に属していたが、1731年に淡水庁へ、1887年には苗栗県帰属へと行政区の改革が行われた。日本による統治が開始されると、 1898年に台中県大甲弁務署苗栗三堡に改編され、更に1920年には台中州豊原郡内埔庄と改められた。光復後の1950年に台中県内埔郷と改めらたが、屏東県内埔郷と同盟であったことから、1955年に后里郷と改称され、現在に至っている。
[編集] 経済
[編集] 行政区
公館村 泰安村 月眉村 厚里村 后里村
義里村 仁里村 義徳村 中和村 眉山村
墩北村 墩南村 墩西村 墩東村 聯合村
太平村 旧社村 広福村
[編集] 歴代郷長
代 | 氏名 | 任期 |
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[編集] 教育
区分 | 数 | 名称 |
---|---|---|
大学 | 0 | - |
高中 | 1 | 台中県立后綜高級中学 |
高職 | 0 | - |
国中 | 2 | 台中県立后里国民中学 后綜高級中学附属国中部 |
国小 | 6 | 台中県立内埔国民小学 台中県立后里国民小学 台中県立月眉国民小学 台中県立育英国民小学 台中県立七星国民小学 台中県立泰安国民小学 |
特殊 | 1 | 国立台中啓明学校 |
[編集] 交通
種別 | 路線名称 | その他 |
---|---|---|
鉄道 | 台中線 | 后里駅 泰安駅 |
高速道路 | 中山高速道路 | 后里IC |
省道 | 台13線 |
[編集] 観光
- 台中線震災復興記念碑
- 旧山線泰安駅跡
- 日月神木
- 毘盧禅寺
- 后里馬場
- 月眉育楽世界
- 台糖月眉廠