大野城 (尾張国海部郡)
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大野城(おおのじょう)は、かつて尾張国海部郡(現在の愛知県愛西市)にあった城である。
なお「大野城」の名を持つ城は、愛知県内に3箇所ある他、福井県や福岡県などにもある(詳しくは日本の城一覧を参照)。
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[編集] 略歴
1584年、蟹江城の支城の一つとして、織田信雄の家臣、山口重政によって築城される。
1584年4月、小牧・長久手の戦いでは、徳川家康側の城となる。同年6月、羽柴秀吉は長期化する戦いを決する為、蟹江城を味方に付け、滝川一益、九鬼嘉隆率いる水軍で大野城を攻める。山口重政は母親を人質に取られたが城を守りきり、徳川家康の援軍により蟹江城は占領される。
この戦い(蟹江の戦い)が小牧・長久手の戦いの決着をつけ、和議となったといわれている。
廃城時期は不明だが、1585年の地震で大きな損害を被っている事から、そのまま廃城された可能性が高い。
[編集] 現状
石碑が立つのみ。
[編集] 所在地
愛知県愛西市大野町郷前218