大阪府立高槻南高等学校
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大阪府立高槻南高等学校(おおさかふりつたかつきみなみこうとうがっこう)は、かつて大阪府高槻市芝生町にあった大阪府立の高等学校。全日制普通科を設置し、地元では「高南(たかなん)」の略称・通称で親しまれていた。
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[編集] 概要
1973年の開校以来、地域密着型の公立高等学校として、自主性や個性の伸張・国際理解・学力の充実・「開かれた学校」への取り組みなどに力を入れていた。
また部活動も盛んにおこなわれ、運動部・文化部ともに全国大会レベルの成績をおさめたクラブも輩出した。
[編集] 沿革
- 1973年4月 77番目の大阪府立高校として、大阪府高槻市芝生町に開校。全日制普通科を設置。
- 1993年 オーストラリア・クインズランド州立トゥーンバ高等学校との姉妹校提携を締結。
- 2001年 大阪府教育委員会、高槻南高等学校を廃校にする方針を発表。
- 2002年12月 大阪府議会で統廃合計画を定めた条例案が可決され、高槻南高等学校の廃校が正式に決まる。
- 2003年 高槻南高等学校の後身となる大阪府立槻の木高等学校が開校。また、高槻南高等学校はこの年から募集停止。
- 2005年3月 最後の卒業生を送り出したことに伴い、閉校。
2005年3月の閉校後、府下の公立高校の中でも3本の指に入る大きさだったグラウンドが開放されるなど、閉校後も地域に親しまれている。最近では校舎が映画撮影に使用されるなど話題を呼んでいるが(ゲゲゲの鬼太郎、クローズ等)、撮影の為とは言え校舎外壁への大きな落書きやガラスを割るなどの演出に、卒業生は複雑な思いを持っているようである。
[編集] 廃校反対運動
大阪府教育委員会は2001年、「全日制府立高等学校特色づくり・再編整備第1期実施計画 第3年次実施対象校」を発表。その中で、高槻南高等学校と大阪府立島上高等学校との統合で全日制単位制高校を設置し、両校を廃校にする方針が発表された。
高槻南高等学校の廃校方針が打ち出されたことは、学校関係者や地域に大きな衝撃を与え、廃校反対の声も高まった。とりわけ同校の生徒らは、生徒会を中心にして、放課後に最寄り駅の駅前で廃校反対署名を自主的に集めたり、大阪府教育委員会に対して廃校反対の請願をおこなうなど、生徒による廃校反対運動の取り組みも大きく広がった。
しかしながらすでに決定した事項を覆すまでにはいたらず、これら運動の甲斐もなく、当初の予定通りに同校は廃校された。
[編集] 出身者
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
大阪府立高槻南高等学校(メモリアルページ)
カテゴリ: 日本の高等学校 (廃止) | 高槻市