契丹文字
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契丹文字(きったんもじ)は、遼朝(916年~1125年)の太祖耶律阿保機が制定したとされる文字。
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[編集] 概要
契丹大字と契丹小字という、系統の異なる2種類の文字が存在する。
[編集] 歴史
契丹大字は、920年(神冊5年)正月を機に耶律阿保機が創案を開始し、同年9月に完成、公布したとされる、漢字を参考・借用して作った表意文字。
契丹小字は、太祖の弟であった迭刺が、多音節言語である契丹語の表記には不便だった契丹大字に代わり、ウイグルの使者から学んだウイグル文字の表記を参考にして創作したとされる。公布された年代ははっきりしていないが、924年(天賛3年)頃ではないかと考えられている。
1125年に遼が滅亡すると次第に廃れていくが、金が1191年(明昌2年)に契丹文字使用禁止の法令を出しており、この頃まではまだ一部で使用されていたと思われる。
[編集] 特徴
契丹大字は、数詞や日付表記などに明らかに漢字を参考にしたと思われる文字があり、それらは恐らく漢字を元に改変されたものと思われるが、漢字との関係があるように見えない文字も多く、それらの文字の起源に関しては明らかになってはいない。
契丹小字は、対称に書かれた漢文から予想される音から想定して、恐らく発音をあらわす複数の要素を組み合わせた音節文字だと考えられているが、表語的要素をもつと想定される一部の文字もあり、現在のところ詳細は判っていない。
[編集] その他
残された資料が遼朝の皇帝・皇族の陵墓・慶陵の墓碑銘(哀冊)などで、資料として偏っているためか、漢文との二言語対照資料があるにも関らず、現在のところほとんど解読されていない。
契丹小字の文字要素の組み合わせ方は現在のハングルに似ており、ハングルの文字構成法は契丹小字から取られたのではないかとする説があるが、今のところはっきりとした証拠は見つかっていない。