孝明帝
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姓名 | 拓跋詡(元詡) |
年号 |
熙平 516年 - 518年 |
廟号 | 粛宗 |
字 | - |
諡号 | 孝明皇帝『魏書』
文穆皇帝『北史』 |
生没年 | 509年-528年 |
在位 | 515年-528年 |
父 | 宣武帝(次子) |
母 | 霊皇后胡充華 |
孝明帝(こうめいてい、509年-528年、在位515年-528年)は、北魏の第八代皇帝。第七代皇帝・宣武帝の次男。生母は霊太后。
[編集] 生涯
515年、父・宣武帝の死によって、わずか7歳(長兄の元昌は夭折)で即位することとなった。当然、このような幼年で政治を執ることができるはずもなく、実権は母の霊太后の下にあった。このため、孝明帝は傀儡同然であったという。
霊太后の治世は、奢侈や仏教に対する狂信に走るというものであり、北魏はこの悪政によって大いに乱れることとなった。このため523年に六鎮の乱が勃発することとなったのである。
一方、成人した孝明帝は、生母の霊太后から実権を取り戻すために軍閥の爾朱栄と手を結ぼうとしたが、これが事前に露見して、逆に霊太后は姪で孝明帝の皇后胡氏が産んだ幼い孫の元釗(少恭帝)を擁立し、その父であるわが子を毒殺した。この時、孝明帝は19歳の若さだったという。
[編集] 宗室
[編集] 后妃
- 皇后胡氏
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