学校教練
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学校教練(がっこうきょうれん)とは、第2次世界大戦以前の日本の学校における教練をいう。軍事教練ともいう。これによって配属された陸軍現役将校を一般に配属将校という。学校教練を履修した者は、陸軍では幹部候補生(学校教練制度設立当初は一年現役兵。)を命ぜられる資格を得るなどの特典が設けられた。
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[編集] 目的
本制度設立の目的としては、主に次の点が考えられる。
[編集] 配属を受けた学校
1925年(大正14年)4月11日に、「陸軍現役将校学校配属令」(大正14年4月11日勅令第135号)が公布された。同令によって、一定の官立又は公立の学校には、原則として義務的に陸軍現役将校が配属された。私立学校については任意的であった。なお、配属将校は教練に関しては学校長の指揮監督を受けた。
- 師範学校(官立又は公立のみ)
- 中学校(官立、公立又は私立)
- 実業学校(官立、公立又は私立)
- 高等学校(官立、公立又は私立)
- 大学予科(官立、公立又は私立)
- 専門学校(官立、公立又は私立)
- 高等師範学校(官立又は公立のみ)
- 臨時教員養成所(官立又は公立のみ)
- 実業学校教員養成所(官立又は公立のみ)
- 実業補習学校教員養成所(官立又は公立のみ)
- 大学学部(官立、公立又は私立)
なお、相沢事件を起こした相沢三郎も、少佐当時の昭和2年(1927年)7月から昭和6年(1931年)までの間、日本体育会体操学校(後の日本体育大学)に服務した経験がある(歩兵第1連隊付)。
[編集] 関連項目
- 予備役将校訓練課程(米国の大学等に設置された予備役将校を養成する課程)